ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

西川純『親なら知っておきたい学歴の経済学』を読んで

久々の休みとしばらくはない休みを活かして昨日少しだけ触れた西川純『親なら知っておきたい学歴の経済学』を丁寧に読みました。 

親なら知っておきたい 学歴の経済学

親なら知っておきたい 学歴の経済学

 

表紙の「大卒より高卒が有利になる!?奨学金が500万の借金になると知っていましたか?」という文句はなかなか刺激的だが、中身は冷静です。

なお、本書は『学び合い』という言葉は一切でてきません。『学び合い』の本だと思って手に取らないのはもったいないです*1

一番信用できないのは「教師」か

この本の一番、耳に痛い言葉は「あとがき」に書かれている次の部分。

  教員養成系の大学教員として、残念であり、辛いのですが、私のアドバイスは「教師を信じるな」ということです。本書に書いてあることは、筆者が特別に知りえたデータに基づくことではありません。多くは公的機関の統計として公開され、インターネットで容易にアクセスできるデータに基づくことです。ところが、その程度のことを多くの人が知っていないということが、一番驚くべきことなのです。(P.152)

実際に進路指導に関わる教員としてこの指摘は非常に耳に痛い。

何十人も生徒を抱え、進路指導以外にも多くの仕事を抱えていると、この本で述べられているような「その程度のこと」を勉強する時間が少なくなるのは、事実である。しかも、この手の情報は、日進月歩、ドッグイヤーであって、一度勉強したところで、しばらくすると全くその知識が通用しなくなる感覚はある。

その「通用しなくなる」という感覚をありながら、すべての生徒のために、一番適当な方法を調べたり考えたりする時間はできない。だから、結局のところ、ありあわせの知識で、差しさわりのない範囲のアドバイスを拡散するだけになってしまう。

もちろん、それは悪意あってのことではない。自分のできる範囲のことで、ベターな方法論を取った結果だ。しかし、本書では、その「ベター」というのが、あまりに質の低いベターであることを、資料によって突き付けられてしまう。

「とりあえず進学する」は通用しない時代へ

その「ベター」だと思う進路指導の多くは、子どもが志望しているように、「とりあえず進学する」ための方法を教えることになってしまっている。

もちろん、責任をもって指導したいので、大学に関する情報やその学部学科で学ぶことがどのような将来に結び付くのかということは丁寧に話しているつもりであるし、そのための下調べまで手を抜く気はない。

でも、一方で「この子の希望であれば、大学よりも方法はあるよなぁ」と感じたり「この興味関心ならば大学に進学しなくても…」と感じたりする子どもに対しても、「進学する」ことを前提とした指導を取り下げることはできない。現状の社会の状況であれば、ぎりぎり「進学」した方が可能性が広がる気がする(この「気がする」というのが非常に厄介)し、本人や親や学校の意識が「進学」にある以上、自分ひとりの思惑で、進学以外の可能性を言い出すことは難しい。

そのようなある種の「談合」に対しても、この本の突き付けるデータは厳しい。

たとえば、表紙にあるように「奨学金が借金でしかないこと」や「現在の就労状況ではその借金を返せないで大変なことになる割合が少なくないこと」という、最近、少しずつ世間にも認知されてきていることを含め、「終身雇用の崩壊」や「新卒の就職率の低下」や「有期雇用の増加」などを繰り返し指摘している。

では、このような状況に対して、大学入試のシステムや大学そのものが大きく変わるのかという問いに対して、本書は「あまり変わらない」(P.98)と手厳しい。結局、「確実な合格」を求める保護者や教員の意向からすれば、革新的な入試をやることで受験者を減らすことはできないという指摘は、私立の教員としては身につまされるものがある。

そのように見た目の変化が起こらなかったとしても、「進学はそこそこの人生を保証しない」という現実が起こった時に、一番、損をするのは誰か。いうまでもない、自分が無責任に送り出してしまった子どもたちである。

では、どうするのか。

そのような状況に対して、本書の回答は、ひと言でまとめるならば「進学すればよい人生が送れる」という価値観を転換することである。

大学進学よりも専門技術を身につけるための進学、そこそこの偏差値の普通科よりも専門学科の高校へ、都会よりも地元での生活へという価値観の転換である。

まあ、正直なところ、これを唱えて「うん」といってくれるような親は多くないし、きっと、自分は「進学指導」をし続けることになるのだろうと思う。また、具体的な方法論を示しているような本ではないから「そんな抽象論を言われても現実味はない」という批判もありうる。

ただ、数字として「保証はない」ということに対する指摘は、的を射ている。無視し続けることも簡単だが、子どもたちのことを考えると、無視し続ける訳にもいかない。

なかなか、できないことのほうが多いところだが、せめて、子どもたちが進路を考える際に「冷静に資料を見て考える」ことを伝えることくらいはできるのだろう。

「知らない」で選んでしまうことと「知っていて」選ぶことには大きく差がある。

そう考えると「なんちゃって」本の存在…

こういうのっぴきならない状況にあるので、感覚や感性からあれこれ教育に口出しされるような余裕は教育現場にはない。でも、ちょっとして有名人の言葉にあれこれ振り回されがちだし、教員もわかりやすいものに飛びつきやすい。

残念ながら、だからこそ、中身がトンデモでも、わかりやすくて流行言葉が入っている本は多く出回っている。

やっぱり、自分の頭で考える訓練は必要です。

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*1:ただし、内容はこれまでの『学び合い』の本で指摘されていることと重複する部分もある

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