ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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誰でも手軽にアクティブ・ラーニングはできるのか?

流行のおかげで、ずいぶん、アクティブラーニングのノウハウ本は増えました。

たとえば、KP法だとかワールドカフェ方式だとか、見た目も派手で分かりやすい活動が随分と広がってきたなぁという印象。

でも、そいういう活動先行でいいのかというのが、そろそろ怪しいと感じることが多いのです。

 「とりあえず形から入る」のはいいことなのか?

自分の直面している一番の苦境は「そんな難しい話をされても分からない」という言葉や「誰にでも理論が分かる訳ではない」という言葉だ。

しかし、だからといって「とりあえず、形だけでもやってみよう」という発想で、ノウハウ本から活動のさせ方だけを持ってこられることには、釈然としない思いがある。

どうしても「国語」という教科を教えている以上は、子どもたちの言語活動が正当に扱われるかどうかということに敏感になる。

国語の授業で「いかにして生活や社会につながるような必然性を持った言語活動をさせるか」ということに頭を使って、授業を構想していたとしても、他教科で不用意な話し合いやグループワークをやって自尊心や言語への効力感をゴリゴリ削られてしまうと、やっぱり国語の授業のほうに良くない影響が出ていることを感じることはある。

厄介なことに、現状、アクティブラーニング的な何かをやろうとする人は、授業について工夫しようとするやる気のある「いい人」なのだ。

そうなってくると、そういうやる気のあって「いい人」に対して「いや、ちょっと不用意すぎるんじゃないですか」ということを指摘すると、逆に自分の立場が悪くなるし、むしろ、そういうやる気のある人たちとはきちんと繋がっていたい。

だからこそ、そういうやる気のある人に「形だけ整えて」「大して論理的な基盤がないもの」を売りつけようとするのはタチが悪い。

そんなこともあって、文科省のほうの資料も「アクティブ・ラーニングの視点は、特定の学習・指導の型や. 方法の在り方ではなく」という文言*1が入ったり、「主体的・対話的で深い学び(「アクティブ・ラーニング」)の視点からの学習過程の改善」と、アクティブ・ラーニングを()の中に入れて前面に出さなくなったり*2しているのだろうなぁとも思う。

だって、こういう本ですらまかり通っているんだから…そりゃあ、アクティブ・ラーニングって語句を誤解されないようにしますよね……。

ガチガチの理論でなくてもいいから

別に徹底的に理論武装できなくてもいいと思いますが、自分たちが使っている言葉が何を含んでいて、どこまで意図しているのかを自覚的になり、そのうえで、授業で行っていることがどのような意義があるのかを議論できるくらいにはなってもらいたい。

「何でもいいからやろう」とか「こういうのは正解がないから好きなことやればいい」とかいうのは、見た目は良くても本質的には怠慢でしかない。

*1:平 成 2 8 年 3 月 1 4 日「アクティブ・ラーニングの視点と資質・能力の育成との関係について-特に「深い学び」を実現する観点から-」より

*2:平 成 2 8 年 7 月 1 9 日中 央 教 育 審 議 会教 育 課 程 部 会「資料2」より 

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