ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

教科指導における「活用」に関する覚書

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現行の指導要領では「 思考力・判断力・表現力等」を「習得・活用・探究」のプロセスの必要性が述べられている。

今までは「習得」に大部分の比重が置かれていたことに対して、「活用・探究」という活動を充実させていくことの重要性が言われているわけだが、国語の場合、教えることと学習活動が一致しているため、「活用」と「探究」の違いがよく分からなかったり、混乱したりすることがある。

そこで、二学期の授業に入る前に「活用」と「探究」について少し整理しておこうと思う。

中教審の資料や文科省の資料より

中央教育審議会 初等中等教育分科会(第54回)教育課程部会(第4期第8回)合同会議議事録・配付資料 [資料3−2] 5.学習指導要領改訂の基本的な考え方−文部科学省を見ると以下のような説明がされている。

子どもたちの思考力・判断力・表現力等を育成するためには、各教科において、基礎的・基本的な知識・技能の習得とともに、実験・観察、レポートの作成、論述といったそれぞれの教科の知識・技能を活用する学習活動を充実させる必要がある。各教科におけるこのような取組みがあってこそ総合的な学習の時間における教科等を横断した課題解決的な学習や探究的な活動も充実するし、各教科の知識・技能の確実な定着にも結びつく。(以下、下線強調は引用者による)

これを見ると「習得・活用・探究」の意図はかなり明確である。

つまり、各教科で覚えなければいけないような知識や使えるようになってほしい技能を身につける学習が「習得」であり、それを実際に使って行う学習活動が「活用」であり、総合学習や教科横断的・課題解決的な活動が「探究」に当たる。

さらに、学習指導要領改訂の基本的な考え方に関するQ&Aの「小・中学校学習指導要領Q&A」の中に以下のように分かりやすく整理されている。

「習得・活用・探究」の学習の流れの考え方について、ポイントは以下の5点になります。

  1. 「基礎的・基本的な知識・技能」及び「思考力・判断力・表現力等」は子どもに身に付けさせるもの、「習得・活用・探究」はそのための学習活動の類型を示したものである。
  2. 各教科では、基礎的・基本的な知識・技能を「習得」するとともに、観察・実験をしてその結果をもとにレポートを作成する、文章や資料を読んだ上で知識や経験に照らして自分の考えをまとめて論述するといったそれぞれの教科の知識・技能を「活用」する学習活動を行う。それを総合的な学習の時間等における教科等を横断した問題解決的な学習や「探究」活動へと発展させる。
  3. これらの学習活動は相互に関連し合っており、截然と分類されるものではない。
  4. 各教科での「習得」や「活用」総合的な学習の時間を中心とした「探究」は決して一つの方向で進むだけではない(「習得→活用→探究」の一方通行ではない)。
  5. これらの学習の基盤となるのは言語に関する能力であり、そのために各教科等で言語活動を充実

こちらの方が現行指導要領のためのQ&Aであるので、より分かりやすく、具体的になっており、また、「言語活動」*1との関係についても言及されている。

現場の理解が不十分に感じるところは、2.のまさに「習得・活用・探究」の「定義」そのものに当たるような部分そのものであり、また、4.についても「習得」が不十分だから「活用・探究」ができないというような主張が聞かれるように、十分に理解されていないように感じる。

市川伸一先生の「活用」に関するご意見

東京大学の市川伸一先生は、以前から「習得」と「探究」という概念を提唱されており、まさにこの指導要領の改訂に関わっていた方の一人で、以下のような本を出されている。

「教えて考えさせる授業」を創る―基礎基本の定着・深化・活用を促す「習得型」授業設計 (教育の羅針盤)

「教えて考えさせる授業」を創る―基礎基本の定着・深化・活用を促す「習得型」授業設計 (教育の羅針盤)

 

 市川は、以下の本書の中で次のようなことを述べている

私は、習得・活用・探究というのがあることはわかりますけれども、活用というのは学習の型ではないと思っているんです。(中略) 習得でやったことを探究で活用するのであって、活用型という教育があるわけじゃない…(中略)…また、習得の中で考えても、新しい習得学習をするときに既習事項を活用することもあるでしょうから、習得サイクルの中での活用というのだって、あり得ると思うんです。(P.32)

この主張は、文科省のQ&Aの中で「「習得→活用→探究」の一方通行ではない」と述べられていることとも対応する点であるし、「言語活動の充実」という文脈で授業の中で「自分の考えをまとめて論述する」などを取り入れることが求められていることとも一致している。

どうしても「活用・探究」や「言語活動の充実」が言われると、「活動させればよい」というような、「さあ、みんなで考えてみましょう」という丸投げの授業をイメージしがちであるし、そう周囲から誤解される節がある*2

しかしながら、この市川先生の指摘を見てもわかるように、ただの活動にばかり重点が置かれているのではなく、基礎・基本の習得についてもきちんと考えられているし、「活用によって習得する」「習得において活用が必要」という認識は持つ必要があるだろう。

「習得のための活用」と「探究のための活用」は違う?

市川先生のコメントを見ると「習得のための活用」と「探究のための活用」があるというような述べられ方になっている。

つまり、同じ「活用」という言葉を使いながらも、用いられる文脈が異なるものがあるということだ。

このあたりの区別をちゃんとしないで、授業で漠然と「活用させる」ということを行ってしまうと、指導や評価が一貫しにくいように思う。

この区別について、安彦忠彦先生は以下の本で「活用Ⅰ」と「活用Ⅱ」という言葉を使って説明をしている。 

「コンピテンシー・ベース」を超える授業づくり (教育の羅針盤)

「コンピテンシー・ベース」を超える授業づくり (教育の羅針盤)

 
高等学校におけるアクティブラーニング 理論編 (アクティブラーニング・シリーズ)

高等学校におけるアクティブラーニング 理論編 (アクティブラーニング・シリーズ)

 

 この具体的な内容について、次回、まとめてみようと思う。

*1:言語活動とアクティブ・ラーニングの関係について思っていることは国語教育はいままでもアクティブ・ラーニングだったか に多少書いたので、ご参照ください。

*2:そのため、本書の中で市川先生は「教えて考えさせる授業」の必要性や有効性を述べている。この内容についてもいつかまとめておきたいなぁ。

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