ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

仕事をしながらも書くことは続けられる…?

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夏休みも明けて一週間が経ち、学校はほぼ平常運転に戻りました。台風は来たけどね…休校にならなかったので、まあ、日常。

授業をやりながら、生徒指導をしながら、こうやって毎日ブログを書き続けているのですが、やっぱり休みの間よりも密度は下がっているなぁというような感覚はある。

それでも文章をこうやって垂れ流している意味あるのでしょうか?

生徒に「書くこと」を求める前に

どうしてこのようなブログを書いているのかと言えば、一番は「書くこと」を自分が体験し続けないと、書くことの苦労や評価されたいという当たり前のことを見落としそうな感じを持っている。

子どもが持ってくる文章を見ると、どうしても手を入れたくなったり、その努力を過小評価しがちになる。

現在、授業で要約に取り組ませているけれども、彼らの歩みの重さをじれったく思う瞬間はある。

s-locarno.hatenablog.com

でも、こうして自分がどうしようもない文章を書いているときの悪戦苦闘を思い出すと、生徒が苦労して文章を書いていることに対して我慢強く待とうという気持ちも出てきます(笑)

やっぱり文章を書くという営みは負荷としては重い。でも、その負荷が強くて時間のかかる作業に対して完成してきたものだけを見て、判断をしていると生徒の苦労や試行錯誤への評価の感度が悪くなる気がしている。

どんな題材をどのように探せばいいのかということや自分が気に入る表現になるまで試行錯誤することが、どれだけ大変なのか、どんな工夫や考え方があるのか、やっぱり自分が経験しないとダメだな、うん。

表現の幅は増やしておきたい

ブログを書くことのメリットとして、next49先生が「考えた後に書く人と書きながら考える人がいる」の中で次のようなことを書いている。

どんな種類の表現であれ、数をこなさなければ滑らかに自分からでてきません。

学校で仕事をするようになってから、今までよりも文章を書く機会が減った(書類書きは増えているが…)ためか、たまに文章を書くと自分の文章のぎこちなさや語彙力のなさに嫌な汗をかくことがある。

まさにnext49先生の指摘の通りで、表現力は数が担保している部分がある。自分の考えていることや言いたいことを適切に述べるためには、表現の幅が必要であるし、その幅をたくさん持つことが、生徒にどのような表現を使うべきなのかを指導する時の手掛かりになるんじゃないかと思う。 

ある記事や出来事に対して「これに私は興味ない」というのも立派な自分の考えだと思います。テーマがないと書きづらいのでしたら、本の感想ブログなんていうのも良いかもしれません。前半に本の概略をまとめて、後半は適当に書く。読書録にもなりますし。

ぜひ、考えがあるから書くというのを止めて、自分の考えに出会うために書くに変えてみてください。自分が案外饒舌なことにびっくりしますよ。

考えた後に書く人と書きながら考える人がいる - 発声練習(下線強調は引用者)

「考えに出会うために書く」という言い方は素敵だ。

書くことの負荷を強く感じることがある一方で、なぜこれほどまでに書くことにこだわる必要があるのかを端的に教えてくれている一文だ。

考えてみれば、自分が生徒に大福帳を書かせ続けているのは、このような意味もあるのかもしれないなぁ。 

s-locarno.hatenablog.com

書き続けることで、アウトプットが早くなるというのは、色々な人が言っていますし、自分も何度か説明しています。

taka-ichi-sensei.hatenablog.com 

s-locarno.hatenablog.com

 ネタがないから同じことを繰り返しているともいえるが、こうやって書き続けることで、どこまでメリットがあるかは分からないけれども、自分の考えと出会えるのであれば素敵なことでしょう。

時間はかかっている…かな

このブログ、毎日小一時間くらいは時間をかけて書いている…というか、ネタがないところからネタ出しからやっているので、筆が乗るまでに時間がかかっていると言える。

ネタがあるときは比較的早くかけるのだけれども、その分、文献を引用しないと気持ち悪い感じがしたリ、わかることだけに色々書いているうちに迷走したりと、えらい目にあうことは多いのだけど(笑)

ちなみに、ネタだしの方法として学生のころから馴染んでいるのが、物書きの人々にはなじみの深いこの本。 

知的生産の技術 (岩波新書)

知的生産の技術 (岩波新書)

 

パソコンもない時代にこんなアイデア出せるような人になりたかった…。

まあ、こんなニッチなことを書いているブログですが、ご紹介をいただいたりしてもらえると、やっぱり時間がかかっているだけにうれしいものです。

chi-cooks-everyday.hatenablog.com

ロジカルなのかは怪しいのですが、考えていることを見てもらい、色々なことを教えてもらえると嬉しいです。

自分の熱量と反応が一致しない(笑)

これも「読まれる」ということを生徒に教えるときに大切なことだと思いますが、自分が意図したことが意図した通りには読まれないぞってことはブログを書くと痛感させられます(笑)

たとえば、自分としては結構重要なことだと思っているので、丁寧に書いた次のよな記事たち。 

s-locarno.hatenablog.com 

s-locarno.hatenablog.com

s-locarno.hatenablog.com

ぶっちゃけた話、アクセスがほとんどない(笑)話としてニッチだからしかたないのだけど、かけた労力が回収できない(笑)この不完全燃焼な感覚はなんていえばいいのか。

でも、ニッチな話であっても、本当に丁寧に書くと、ある程度は読んでもらえるのだということは、以下の記事がうちのブログでは比較的に人気であることからもわかります。 

s-locarno.hatenablog.com

なお、検索経由で当ブログにやってくる人の少なくない割合が、「アクティブ・ラーニング 意味なし」、「アクティブ・ラーニング 活動あって学びなし」などアクティブ・ラーニング否定派の検索が多いことに色々思うところはありますが、そのあたりはまたそのうち…。

仕事をしながらでも書けます

タイトルの問いに戻るけど、仕事をしながらもちゃんと書けます。ただし、ネタを出すことにはかなり手間取るかも。授業のことを書けば楽なんだけど、あまり情報を出し過ぎるのも多方面への配慮が働いて難しい。

ただ、色々と書くことで授業のネタ作りにはなっているし、考える習慣がついていることは授業作りにもプラスになっています。

ポイントとしては、好きなことを分量を気にせずに、書きなぐることでしょうね。やっぱり根本として、書くということを続けることで色々なことを考えることになるのです。

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