ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

【書評】『学び合い』が効果的になる可能性はあっても

昨日の大村はまの書評でだいぶ大きな労力を割いたので、今日は軽めに…。

先日、『学び合い』の中でも国語教育に特化して実践が紹介されている本が発売になりました。 

すぐ実践できる!  アクティブ・ラーニング中学国語 (ACTIVE LEARNING教科別実践法シリーズ)

すぐ実践できる! アクティブ・ラーニング中学国語 (ACTIVE LEARNING教科別実践法シリーズ)

 

一人も見捨てないという基本原理

西川純先生の『学び合い』に関する書籍を読んだことがある人であれば、何度も繰り返し述べられていることなのでここで紹介するまでもないのかもしれませんが、『学び合い』の基本原理は「一人も見捨てない」ということにあります。 

高校教師のためのアクティブ・ラーニング

高校教師のためのアクティブ・ラーニング

 
週イチでできる!  アクティブ・ラーニングの始め方

週イチでできる! アクティブ・ラーニングの始め方

 
資質・能力を最大限に引き出す! 『学び合い』の手引き ルーツ&考え方編

資質・能力を最大限に引き出す! 『学び合い』の手引き ルーツ&考え方編

 

これらの本でも繰り返し述べられていることでありますが、西川先生は新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)の中のアクティブ・ラーニングの定義のうち、「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る」という点を実現することの重要性を説き、そのための合理的な手段として『学び合い』を説明しています。

そのため、『学び合い』に基づく授業設計は、生徒同士が関わることによって教員から与えられた課題を全員で達成することこれは誤りでした。「課題を全員「が」達成すること」が正解です。完全に自分がこの部分を軽く見て、軽率に書いてしまいました。お詫びして訂正します。に主眼が置かれており、そのための声掛けや見取りが重要になっていると言います。

本書は、今までの書籍が『学び合い』の理論や考え方を強く説いてきたという性質のものであったのに対して、実践者が具体的に教科でどのような『学び合い』を実践しているのかということを紹介する性質のものになっている。

普段であれば、マニュアル本はあまり好きではないので紹介もしないのだけど、気になる人も多いのだろうから、良さと疑問点を書いておこうと思う。

原理のあるマニュアル本

自分があまり教育のマニュアル本を好まない理由としては、たいていのマニュアル本が何の根拠も持たない「自分の考えた最強の教育方法」程度の話に終始していて、それぞれの教室の文脈に無条件に当てはめられるものでなければ、形だけを真似してみても長期的に実践することが難しく、早々とマンネリと頭打ちになることが予想されるものばかりだから。

まあ、「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」と小泉信三的に言うまでもなく、教育業界には「活動あって学びなし」という便利な言葉がある訳です。

「アクティブ・ラーニングは活動あって学びなしだ!!」ととりあえず言っておけば、教育を批判できるので、教育に文句ある人は覚えておくとよいでしょう。

冗談はともかく「活動あって学びなし」という批判に耐えるだけの理論武装は、この教育激動の時代には必要なわけです。アカウンタビリティという言葉で説明責任が追及される時代に、教育だけが「説明しなくても教員の言う通りにしていればいい」という発想で授業されるのは問題だろう。

だからこそ、『学び合い』については、西川純先生がこれまで説明してきた「一人も見捨てない」という原理原則とそのための手立てが豊富にあるため、仮に「形から入る」というような授業への適用だとしても、それなりに合理性もマニュアルから導けるので、どうしてそれが必要なのかということについて、個人の経験にしか根拠を持たない無責任なマニュアル本とは一線を画するといってよいだろう。

だから、「アクティブ・ラーニングなんて言われても困る」という人にとっては、それなりに心強い方法論であるし、豊富な支援書であると思う。

『学び合い』をやってみるか?

ここまで持ち上げておいて、何なんだけど、自分がこの『学び合い』をやるかと言われれば、ノーである。厳密に言えば、向いている事項や単元があれば、そういう手法を取ることもあるだろうけど、国語の授業をすべて『学び合い』にするかと言われれば、それは明確にノーというだろう。

あとは、感情論に過ぎないのかもしれないが、自分の「国語科」の教員としての根源は、「いかに豊かな言語生活者を育てられるか」(うーん…このあたりが自分でもまだはっきりとしていない)ということにあり、本書や他の『学び合い』の書籍で提案されている授業ほど、単元学習や言語活動の質について、ドライに割り切ることができない。

象徴的なのが、本書の実践例として「記者会見型スピーチ」というものが紹介されていた(原徳兆先生が書いている。PP.80-81)が、それに対する違和感がかなり大きかったことだ。

そこで解説されていたことに以下のようなことがある

「ごっこ遊び」というアクティブ・ラーニング

きっとあなたも、小さい頃「ごっこ遊び」をしたことがあると思います。(中略)考えようによっては、これはまさにアクティブ・ラーニングだと言えます。

この学習で行う「記者会見型スピーチ」にも、そういう「ごっこ遊び」の要素が含まれています。普通の人が、記者会見に臨むなどまずあり得ませんいわば非日常の世界です。だからこそ、自由に伸び伸びとと(原文ママ)、そしてアクティブに学習ができます。(下線強調は引用者)

上記の下線で強調した点が自分が一番ひっかかっていることである。

国語科教育の究極的な目標は、抽象的な言い方になるのだけれども「言語生活者」を育てることだと思っている自分にとっては、「ごっこ遊び」を教室でやることについては抵抗がある。

極論すれば、教室での勉強なんてどれも「ごっこ遊び」なのかもしれないが、それでも国語の授業で扱う言語は「ごっこ」であって欲しくはないと思っている。

上のような価値観は、おそらく『学び合い』の理屈から行けば枝葉末節のことになる。その場の言葉へのこだわりや国語科の一部の人にしか伝わらないような「言語生活」という観念よりも、いかに子どもが子ども同士で関わり、「一人も見捨てない」という態度を育てるかということに関心があるので、この点について議論をしても実りはないだろう。

子どもが上手く話せないことにも『学び合い』は「子ども同士の関わりの中で解決する」ことに重点を置くのに対して、大村はまは「話したいことを持たせたやることが重要だ」と説くようなことや、単元についても『学び合い』は「子どもに丸々任せていい」というのに対して、大村はまは「教員の学びが重要だ」と説くように、そもそも両者は捉え方や授業設計が異なる。

どちらがいいのかということを議論しても不毛になるので、これは教室の実際をみて選べばいいんじゃないかとも思う。

実際、大村はまのようにすべてを捧げて授業研究なんてできない人のほうが多いことを思えば、『学び合い』のほうが汎用的だと思うしね。

言語活動の充実についての説明はおかしい

本書の実践例については、細かく教科教育的なことから突っ込まなければ、よく設計されているし、うまく教室が回ることも想像できるので、特に、変だと思うことはない。

ただ、一点、「言語活動の充実」の説明については、おかしいのではないかと思うので指摘しておく。

「言語活動の充実」では、「どんな活動をするか」にスポットが当てられています。一方、アクティブ・ラーニングでは「どのように活動するか」にスポットが当てられています。そして、アクティブ・ラーニングが目指す「どのように」とは、生徒が自らの意志で、自らの方法を選択しながら活動していくことです。(PP.116-117 原徳兆先生の責任記事) 

確かに、「言語活動の充実」として「言語活動例」が示されたがそれは決して「どんな活動をするか」ということに力点が置かれていたわけではない。それは小難しい解釈の話ではなくて、学習指導要領の中に「言語活動を通して、各領域の力を指導する」という性質のものであって、言語活動が目的ではないとちゃんと書いてある。

また、文科省の「言語活動の充実に関する指導事例集」の中の小学校版第3章 言語活動を充実させる指導と事例の中にも以下のような説明がある。

言語活動を充実すること自体が目的ではなく,言語活動により,基礎的・基本的な知識及び技能の習得,これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力その他の能力を育むことを目指すことに留意する必要がある。

このため、本書の中で説明されているように「言語活動の充実=どんな活動をするかが問題」という図式は正しくない。

もちろん、「今までと同じでよい」「結局、何も変わらない」という考え方が望ましくないということを述べようとしているこのページの方向性には同意する部分はあるが、正しく資料を参照しないで都合がよいように論じるのは誠実ではない。

なお、自分も言語活動の充実だけではアクティブ・ラーニングは不十分ではないかということは、以前に書いたので、大した話ではないですが興味があれば以下からどうぞ。

s-locarno.hatenablog.com

買ってもいいとは思う

結局、長くなりました……。

結論としては「お手軽に変えてみたい」というのであれば買ってもいいんじゃないかというものです。

前面から否定する気はないものの、積極的には与しないというのが自分の立場です。

実際に、自分の教室でやってみたという人の意見を聞いてみたいところです。

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