ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

子どもは好きじゃなくても子どもに敬意は持たなければいけない

能力がないから三連休を謳歌できている身分である。

来週からは考査に向けてエネルギーをゴリゴリと削られるのが分かっているので、この休みくらいはちゃんと休もうかと思う。

自分たちに余裕がなくなれば、やはり、どうしても子どもに対する態度が変わってしまうという自覚はある。

自分が指導しているのは高校生であるので、多少、自分が落ち込んでいても生徒のほうがカバーしてくれる部分があるが、それでも、不機嫌であったり不調であったりすると生徒がどうようするのが分かるだけに、調子の波が出ないようにしたいとは思っている。

生徒と自分の関係は決して横ではない。それだけに、自分の振る舞いが生徒に対して尊大になるようなことがあってはならないと思っている。

別に生徒が好きではなくても敵ではない 

よく勘違いされるのだが、教員なんて仕事をしているものだから「子どもが好きなんですね」と思い違いされることがままあるのだけれども、自分は別に子どもは好きではない。

だからといって、生徒を嫌ったりだとか敵に回したりとまでは考えてはいない。というか、そいういうことをするメリットはないぞ(笑)

でも、自分の半径二メートルで見聞きしている範囲だと、子どもに対して敵意を持っている人間が少なくはないように感じる。

職員室の会話を聞いていると「〇〇だからダメだ」だとか「あいつは〇〇すらできないのか」だとか「また、〇〇してやがる」だとかいう話題に事欠かない。ていうか、ぶっちゃけた話、自分が体調崩した原因の大部分はその教員の悪口であって、やっぱり攻撃的な言葉というものは自分自身に向けられたものではなくてもダメージがある。

そんなことを考えると、直接攻撃を食らっている生徒は果たして無事なのだろうかと本当に辛くなる。

どうしても、我々、教員は「生徒指導」という責任を負っている。だから、決して、生徒に対して甘く、譲歩するような真似をしてはならないのだけど、だからといって生徒のできないことを数え上げて、攻撃するような真似は自分の仕事だとは思っていない。

こんな記事を読んだ。

www.taguchizu.net

この記事の中で、生徒指導に関して以下のようなことが書かれている。

 

「またアイツか」、「あの子どうしようもないな」、「もういいかげんにして欲しい」

そんな言葉を職員室で平気で口にしている自分、教員集団に気付きました。

確かに生活指導に追われ、みなさん疲れ切っていたと思います。 しかし、そんな私たちの姿勢、子どもたちの見方はきっと子どもに伝わってしまっていたのでしょう。

学校はなぜ荒れるのか? - 絶対に強くなる!中学校野球部ヒント集

自分は別に子どもや生徒は好きではない。でも、こうやって色々なものに追われ、余裕がなくなり、生徒を無能扱いするような仕事はしたくないのだ。

その生徒指導はアリバイ作りではない

以下の記事には、生徒指導でありがちな「反省文」に対する違和感が述べられている。

turuturutamago.hatenablog.jp

学校の慣例だからやらせなければいけないという面は否定できないかもしれないが、でも、その慣例は見直されることもなければ生徒がそれに対する意見をする権利すらない。

まあ、国語の先生としてはやっつけ仕事にしかならない反省文を書かせること自体が害悪にしか思えない。やっつけ程度の作文を書かせることで思考力や生徒の心情を動かせるのであれば、国語教育は生徒指導教育とか洗脳教育とかにでも看板替えした方がいい。

なぜ、反省文を書かせるのか。答えは明白だ。

反省文であれば形が残る。その指導の効果があったのかどうかなんて短期的にはわからない。でも、それではよく分からない「周囲」とやらが許さないらしい。

許さないのが親なのか教員なのか誰なのか分からないけど「周囲に示しがつかない」からこそ、さっさと反省文で手打ちにしたいという立場の人間の都合でしかない。

所詮、教員のアリバイ作りでしかない。そんな指導に意味はあるのかは疑問だ。

いらない仕事を自分から増やさない

反省文にしても職員室の悪口にしても、結局、教員が余裕をなくしていることによって起こる話だ。

でも、その二つは連動しているように思う。教員の指導に余裕なく、短期的でアリバイ作りのような指導を続けることで、次々と起こる問題に対していちいちアリバイ作りしなければいけなくなるし、そのせいでますます教員に余裕がなくなる。

その結果、教員は問題を起こす生徒に対して敵意を抱くようになる……まったくもって最悪だ。

意味のない仕事、効果のない仕事は削らないとどうにもならないところに来ている。それを見つめる余裕もないのが、この三連休にまともに休め人ばかりいる学校という場所なのだろうか。

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