ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

一年の総まとめを構想中

Finish

いよいよ二月も中旬に入って、学年末考査まで一か月を切る時期になりました。

授業回数も数えてみると少ないクラスはもう片手で数えきるほどしか授業が残っていません。名残惜しくも感じますが、いつまでも未練がましく先生面して教え続けるのもみっともないので、良い形できっぱりと学年を締めくくりたいところです。

今年度最後の単元について今考えていることを書き出してみます。

今年は協働のための下地づくりの一年

昨年の三月にそれまで教えていた卒業生を送り出して、気分も新たに新入生を迎え入れたのが今年の四月。そこから初めましての生徒たちと少しずつ授業を進めてきて、もうすぐ一年が経とうとしています。

思えば、「文章を読むのが嫌い」「国語は勉強しなくてもいい」「考えるのが面倒くさい」とテンプレートのような「国語嫌い」の態度を示した生徒たちでしたが、今の様子を見ると、嫌いなりにもそれなりに長い文章を書いたり色々なことを話し合ったりするようになったように見えます。

四月の段階に色々と話した時には「うーん…厳しいかもなぁ」とぼんやりと思ったものの、腹を決めて「今年は自分たちで勉強できるようになってもらうための一年にしよう」と授業を始めました。

生徒たちはそれまでの授業では、国語の授業で自力で物を考えたり、何かきちんと表現して伝えたりという経験がほとんどなかったそうで、いきなり「じゃあ、あとは頑張ってねー」と言われても困惑してしまうような状況だった。

だから、色々と手を変え、品を変え、自力で考えることや協働して課題に取り組むことを求めてきたのです。その甲斐もあって、今ではとりあえずは自分たちで国語はやるものだという意識が出てきているのはよい傾向であると思っています。

……思い返せば、四月の最初の授業だけ解説したけど、それ以来、授業で自分が解説した授業は5回くらいしかないんじゃないかな。結果オーライ、結果オーライ。

三領域をバランスよく…

今年、自分は同じ学年の異なる学力のレベルの生徒を教えている。そのため、授業はそれぞれのクラスで別の方法で展開してきたので、当然ながら到達する最後の様子もかなり異なるなぁという印象は持っている。

ただ、どちらのクラスであっても「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」の三領域のバランスについてはかなり意識していた。どうしても勤務校の傾向だと「読むこと」に偏りがちになる(というか、シラバスが読むことしかないので進度がキツイ)ので、意識的に教科書の題材を「読むこと」だけで扱わないようにしていた。

だからこそ、この年度の最後についても、意識的に三領域を使うような授業をさせていきたいなぁとは思う。もちろん、厳密な意味での三領域のカバーは無理なんだけど、生徒の学習の中で「話すこと・聞くこと」に必然性がある活動を組織したり、学んできたことを「書くこと」で統合させたりといった塩梅に、生徒たちに「国語はすべての言葉に関わる技能や知識を一生懸命使って勉強するものだ」というメッセージを送りたい。

もちろん、リーディングワークショップも…

総まとめと並行する形でリーディングワークショップも地道に週に一度のペースで進めている。

一月は入試関係でなかなか授業がなかったのだけど、今月は毎週きちんとリーディングワークショップが実践できている。

国語という教科の学習の態度として「技能や知識をフル活用するものだ」ということは伝えていく一方で、リーディングワークショップではもっと緩やかに「言葉に意識的に触れ続けるのは個人の重要な習慣なのだ」ということを伝えたいと思って、ミニレッスンやカンファランスを行っている。

まだ、なかなか自分の中でも言葉で整理ができていない状況ではあるのだけど、リーディングワークショップで伝えられることは、何か定量的な知識だとか学力ではなく、まさに「読書家としての態度」だとか「読書家としての習慣」といった、子どもたちが大人になっていく上で必要なことであるように感じている。非常に息が長く伝わって、影響を及ぼしていくような、そんな何かであるように思っている。

なかなか、毎回のミニレッスンが計画的、系統的にできているわけではなく、毎回、授業の直前になってぼんやりと「こんなことを伝えよう」というのを思い浮かべ、生徒の反応を見ながら伝えているという感じだ。

伝えていくことはたくさんあるけど

残り時間の短い中で伝えなければいけないことはたくさんあるのだけど、もう、最近の気分としては「免許皆伝だから教えることはないな」という感じ。

知識量ではもちろん彼らの知らない方法や態度についても言わなければいけないことはあるのだけど、気分としては「免許皆伝」なのである。

何というか、もう考えるための基礎知識や道具立ては稚拙ながらも揃っている様子が見えているだけに、何かを押しつけて伝えようという気があまり起こらない。

必要に応じて、彼らがまだ足りない部分に気づけるような課題を準備すること……それさえも別に大きなお世話のような気もしている。

拙くてもゆっくりとじっくりと考えているところに、隣からコメントをしながら、必要なことを必要なペースで学べるように支援できれば十分かなぁという気分なのである。ある意味、自分が授業をやらなくてもいいとも思っている。

この一年間で伝えたかったことは属人的な能力や態度ではなく、自分たちで格闘するための手順のようなものだ。だから、別に状況に合わせてものだけ準備すれば、自分がいてもいなくてもいいと思っている。

そんな意味では「免許皆伝」な生徒たちである。まだまだ、粘り強さや知的な好奇心の強さはないと弱点もよくわかっているけど、そのような態度こそ、やっぱり自分が手をかけてしまってはダメなんだろうなぁと思っている。

いずれにしても、緩やかに見守っていけるような形で最後をしめくくりたいところです。

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