ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

授業観を変えることの難しさ

Swimming

京都大学の溝上慎一先生が書かれているサイトに面白い記事が前に上がっていた。

smizok.net

要点が冒頭に上がっているが、自分が注目したのは以下の点だ。

多くの、とくに高校教師の持つ伝統的なチョーク&トークを中心とする授業観を変えるのは難しい。揺さぶられる経験が必要であり、そのためにもまず「水に入って泳ぐこと」が重要である。

「とくに高校教師」と名指しして指摘されているが、高校の授業は「チョーク&トーク」に偏っている人が多いような印象は、高校の教員として働いていても思う。

そのような現状に対しての厳しい指摘であるので、ぜひ目を通して欲しいと思う内容だ。

自分自身の生徒体験を授業のスタート地点にしていいかという問題

この記事を読んで、思わずうなずいたのは以下の点だ。

アクティブラーニング型授業は、多くの教師がイメージを作れるほどの経験を持っておらず、抽象度の高いところで概念的に理解するのが精一杯のものである。多少の例が示されることはあるにせよ、自身の具体的な実践にどのように繋げればいいかまで教えられることはまずない。

新しいものに対して反発しているという面は否定できないところもあるだろうが、それ以上の問題として「教員自身が具体的な実践のイメージを持てない」ということが、根本的に授業改善が進まない背景にある。

アクティブ・ラーニングの話が出てきたときに「教員にアクティブ・ラーニングの経験が無いのだから教えられない」といった趣旨の議論を目にしたことはあるが、それはある意味で正しいのだろう。

ただ、反面、「自分は生徒として経験が無いから教えられない」などと言い出したら、教育は代を経るだけ劣化していくだけである。そもそも指導要領が10年ごとに改訂されることを考えるのであれば、「自分の受けてきた教育」から授業を語るのは危ないと自覚するべきだと思う。

変えて失敗するか変えずに失敗するか

 

意地悪な言い方ではあるけど、「授業」が現状のままでよいなんて思うことはほとんど無いし、何年も前に予習した薄汚いノートを毎年使い回しているような授業で何も感じないようになったらおしまいだと思っている。

しかし、その「改善」がALの導入のように根本的なパラダイムの変化を受け入れるかはかなり大きな違いがある。

少なくともいままで成立していた授業を手放すことは決して簡単なことではない。その結果、大惨事になる可能性だって少なからずある。

失敗事例だって多く報告されているわけだしね。 

失敗事例から学ぶ大学でのアクティブラーニング (アクティブラーニング・シリーズ)

失敗事例から学ぶ大学でのアクティブラーニング (アクティブラーニング・シリーズ)

 

ただ、世の中の変化が「教員が変化しないこと」に対してどこまで寛容でいてくれるか……。

そのことに対して学校は見積もりが甘い気がするなぁ…

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