ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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『ようこそ,一人ひとりを生かす教室へ』は『学び合い』とつながる?

この連休を使って最近発売されて下の本を読んだ。

ようこそ,一人ひとりをいかす教室へ: 「違い」を力に変える学び方・教え方

ようこそ,一人ひとりをいかす教室へ: 「違い」を力に変える学び方・教え方

  • 作者: キャロル・アントムリンソン,Carol Ann Tomlinson,山崎敬人,山元隆春,吉田新一郎
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2017/03/17
  • メディア: 単行本
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この本は岩瀬先生がレビューを書いていらしていたので興味があった。

iwasen.hatenablog.com

これ以上に詳しいレビューを書けそうにないのだけど、自分が気になったことをいくつか書いておこうと思う。

結論から言えば、一斉授業で見ないふりしてしまっているものの多さに問題意識がある人は絶対に読むべき一冊であると思う。

「生徒」という生徒はいない

私たちは依然としてすべての生徒があたかも同じであるかのように教えがちです。あたかも生徒たちの本質的な人間性を見失ったかごとく、私たちはいまだ生徒たちを測定し、ラベルを貼り、そして分類しています。(「まえがき」より) 

いきなり手厳しいコメントから始まる本書は「子どもは一人ひとり異なる」という本来は自明でありながらも、教室ではなぜか無視されてしまうことが多いこの価値観を、教室で実現する方法を探究した一冊だ。

一人ひとりの生徒をいかすということは(中略)一人ひとりのその時の実態から始めることが大切だと主張する、教えることと学ぶことについての考え方です。教育に携わっている者が(中略)抱いている一般的な考えに挑戦する考え方です。(P.203)

ここでいう「一般的な考え」というのが、まさに「標準的な」生徒を想定して行われる一斉授業であり、固定的なカリキュラムのことである。

どうしたって上下左右を気にしながら授業をしなければいけない一教員にとっては、「安全策」である標準的なカリキュラムと授業をやりたくなる*1

しかし、そのような授業の在り方に対して、はっきりとNoを突き付けているのが本書だ。

すでに21世紀に入ってかなりの年数がたっても、一般的なクラスにおいてはこの「平均的な生徒」に焦点を当てた授業が続いています。その結果、典型的な授業は、ごく少数の生徒にとってのみほどよいもので、他の生徒にとってはすでにわかっているものでおもしろくなく、その一方で、圧倒的多数の生徒を難しすぎてやる気にさせられないでいます。このようなアプローチでは、誰に対しても公平さも優秀さも提供することはできません。(P.49)

一斉授業をやってきた教員であれば、そして生徒の理解度や反応をきちんと分析し続けてきた教員であるなら、ここで指摘されていることがどれだけリアリティのあることかは痛いほどわかるはずだ。

一斉授業でないとしても、例えば、こうやってブログで授業のことを書くときに、主語になっているのは「生徒」であって「一人ひとり」の生徒ではない(まあ、ぼかして書いているからというのもあるけど)。無意識に授業のことを考えているときには「生徒」という抽象的なものを想定している自分がいる。

たぶん、平均的な生徒を考えて、平均的な授業を考えてしまうのは、あまり望ましくない職業病なのかもしれない。

「一人ひとり」という重さ

「ひとりひとり」という言葉を聞いて思い出すのは、やっぱり国語科としては大村はまだ。 

新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

 

大村はまの単元学習で繰り返し出てくる言葉に「ひとりひとり」というものがある。例えば、生徒に手渡す学習材もひとりひとりの顔を思いながら作ったり、生徒ひとりひとりが仕事を果たすことで国語の力をつけることを目指すといったりと、徹底してひとりひとりの子どもが一生懸命学び、力をつけていくことにこだわった指導をしている。「学習記録」なんてまさにその最たるもので、その「ひとりひとり」の学びの豊かさには圧倒される。

しかし、その大村はまの実践もそうだし、この本で紹介されている実践もそうだけど、生半可な準備や支援では簡単には実践できないという印象を持ってしまう。

この本で紹介されている実践は、それでもかなりシステマティックに整理されているので、覚悟を決めて授業準備に時間をかけて、毎回の授業を必死に分析すれば達成できるような気はする。

「あとがき」に

本書で提案している考えは野心的なものです、しかし、その考えは、私たちがすべての生徒に求めるべきこと、つまり、リスクを覚悟し、手足を伸ばし、ぬるま湯に漬かったような状態から少しだけ前進することを日々追求している教師にとっては、手に届く範囲にあるものです。

とあり、なかなか手厳しい。普段の授業も決して「ぬるま湯」ではやってはいないんだけど、「ひとりひとり」という点を本当に実現することを目指そうとすると、本当に多くのことを頑張らなければいけないんだなぁ…と思う。

「ひとりひとり」と言えば『学び合い』

この「ひとりひとり」は異なるということを前提にした授業の考え方と言えば、アクティブ・ラーニングの流れを受けてにわかに注目を集めている『学び合い』を思い出す。

実は、本書を読んでいるとき、実践の方法に違いはあれ、理念のような部分ではかなり『学び合い』に重なる部分があるように感じた。例えば、

一人ひとりを活かす教え方に取り組み始めた若い教師が次のように振り返りをしました。「一人ひとりをいかす教え方は方法ではありません。それは、教える時に自分がすることすべてと生徒が学ぶ時にすることすべてについての考え方です」(P.181) 

少しの表現の違いはあるものの、考え方としては極めて西川純先生の『学び合い』に近い。 

資質・能力を最大限に引き出す! 『学び合い』の手引き ルーツ&考え方編

資質・能力を最大限に引き出す! 『学び合い』の手引き ルーツ&考え方編

 

もし、「一人ひとりをいかす」ということを本気で取り組みたいと思った時に、本書に書かれている実践の方法がハードルが高いと思ったのであれば、『学び合い』に進むとよいかもしれない。逆に、『学び合い』について勉強されている人は、本書をよみ、多様な実践の方法や学習環境の作り方を学ぶのがよいと思う。

余談だけど、本書は「学校に『一人ひとりをいかす』ことを広めるにはどうするか」ということについての話も書かれている。

その方法というのが「小さく始める」ということや「同僚に呼びかける」「信念と目的を吟味せよ」「ビジョンを共有せよ」ということなどで、これもまた西川先生が主張されていることと重なることが多いのも興味深いところです。

自分はどうやって授業をしていこう?

今年度の授業が終了しているので、来年の授業をどうしようかということを考えている(来年、どこを教えるかは決まっていないけど…)。

ここで「一人一人をいかす」ということを突き付けられてしまったのは、幸か不幸か、かなり自分の授業計画に影響を与える気がする。

やっぱり、今まで見ないふりしてきた「個人差」ということを真剣に引き受けなければいけないなぁという思いがある。それをするには、勤務校のガチガチに固められた条件はきついんですけどね……。

生徒の成長と言えば、聞こえはいいけど、それによって大学入試がダメになってしまっては却って子どもを不幸にしてしまうという現実もあるからね…。

一体、自分は何を教えていけばいいのでしょう?

*1:自分だってやってます。このブログだけ見られると自由にやっているように見えますけど。

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