ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

教員の知らない学校の話

The Architectural Office

新年度に向けて勉強中です。普段は手に取れないような本を読むようにしています。

今日、読んで印象に残った本がこれ。 

本当の学校事務の話をしよう: ひろがる職分とこれからの公教育

本当の学校事務の話をしよう: ひろがる職分とこれからの公教育

 

一般の人にとってはもちろんだろうけど、学校にいる教員にとっても案外距離感が不思議な「学校事務」。そんな学校事務の仕事について書いてある一冊です。

「学校事務」がいなかったら何もできません…

情けない話であるけど、自分は業者の相見積もり一つやれません。

そういう立場にないからやらないという面もあるけど、明日から業者を読んで見積もりださせて予算を組んで稟議書をかけと言われても途方にくれます。

このような仕事の多くは、実は「学校事務」と二人三脚でこなしている(むしろ、おんぶにだっこ?)ということがあり、教員が一人だけでやれることは実はかなり限られています。

まあ、自分がぺーぺーで情けないからということは脇に置くとしても、例えば「就学支援金」に関わることや「授業料減免」に関することや「教科書の給与」に関することなど、一教員が全く把握できていないながらも、無視することが一切できないような内容を担ってくれているのが「学校事務」である。

あと自分たち教員の給与の計算をしてくれているのも事務です…事務の方々が仕事をしてくれなければ、給与だってまともに支払われません(笑)

にも関わらず、嫌な話ではあるけど、教員の中の少なくない人数の人たちは「たかだか事務風情がうるさいこと言いやがって」と思っている。例えば、勤怠の計算の確認をしにいくと露骨に嫌な顔をする人もいれば、予算のルールを守っていないものはルールを破っては買えないということを何度も説明しても激昂して話を聞かないような人もいる。その根底には「事務が教員のやることに口出すな」という勘違いがあるんだろなぁ…(※個人の感想です)。

シビアな話であるけど、「金」を握っているのは事務だ。その意味だと、教員が見逃している暗い面にも向き合っている部分はある。

本書の内容も明るく前向きな学校事務の成功体験という話で終わっているのではなく、お金にまつわるシビアな観点から「なぜ義務教育なのに費用が掛かるのか」「本当に教育を無償にすることはできないのか」「子どもにとってよりよい教育の形は何か」というようなことを論じている。

教育にかかるお金

義務教育に限っていっても、実は学校に通うのはただではない。

最近、世間でも認知されるようになっている給食費の問題を初め、修学旅行にかかる費用、漢字ドリルなどの副教材にかかるお金、PTAに関わるお金、卒業対策費…等々。

「義務教育は無償」という謳い文句はありながらも、実質的には莫大なお金が動いている。

この本の著者は学校事務という立場から、色々なお金の流れを把握しているため学校における「私費負担」をできるだけ少なくできないかということに大きな問題意識を持っている。

たとえば、当たり前に保護者が購入することが前提となっているような副教材についても、学校で管理できるものは学校で管理し「公費負担」にすることで、私費負担の割合を下げようとすることなどを提案したという話が紹介されている。

「現状維持」に流れやすい教育現場で、問題意識をもって「慣例」を見直すことで子どもたちの権利を保障しようとしているのである。

教員と二人三脚でこそできることもある

このような筆者の努力の中で、教員として印象に残ったのが「授業計画や教材選定について教員と協働していくこと」を主張していることだ。

学校に限った話ではないとは思うが、公的な「お金」というものは思い付きでホイホイと現金を動かせるわけではない。予算の申請が必要だということや指定した業者のみが利用可能だとか色々な縛りが付く。

その縛りに対して教員は残念ながらあまり詳しくはない。そのため、ついやってしまいがちなのが、ある授業をやる直前になって「〇〇が必要なので買っておいて」というような形で事務に投げるようなことだ。もちろん、そんな無茶ぶりですぐにホイホイとお金を動かすことはできない。

結果的に、そのような状況になった時に「簡単に」動かせるお金は、「私費」で徴収しているお金である。だから、油断してホイホイとお金を使っていると、生徒の私費負担が増えてしまうことになる。

しかし、計画の段階で「どの時期にどの教材が必要なのか」ということを相談していたり、副教材に選んでいたものの費用対効果を検証しあったりするなど、「事務」と連携することで、子どもたちに大きなメリットが生まれている。

教員は「授業」のこととに口出しされることにかなり拒絶反応を起こす傾向がある。同じ教科同士であっても、意見交換をする…という文化があるかどうかは学校によってかなり温度差がある。そのため、まして「事務」が教員と協働……ということはかなり難しいことなんだろうなぁと思う。だからこそ、こうやって事務が教育に対して熱意を持ち、現場に近づいてきてくれることに心強さを感じるし、自分自身がもっと事務に歩み寄っていかないといけないのだろうと感じた。

子どもの権利条約の実現のために

この本の前半部分は学校での実際の事例を中心に書いており非常に読みやすいが、この著者の熱意は最終章にこそある。

最終章はこの著者が強い問題意識を持っている「公教育における私費負担のありかた」について論じている。

学校事務という立場からこそ見えることを、様々な裁判の判例を紹介しつつ批判的に今のありかたを論じ、さらに現状の枠組みでも実現可能なことを提案している。

他の章に比べて圧倒的に密度が高い(文字の大きさ的な意味でも(笑))ので、ぜひ、学校に関わる人は見てもらいたい。

余談

この本の著者は教育に関わる様々な状況をよく勉強されているなあと感じる。例えば、インクルーシブに関わる話やカリキュラム・マネジメントに関わる話など、様々な観点を知っているなぁと感じる。たぶん、教員よりも教育改革の話を知っている気がする。

自分もちゃんと勉強しよう…。

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