ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

国語ってなんなんだよ!

昨日、一昨日の話が尾を引いいているのである。 

s-locarno.hatenablog.com

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今日はちょっと読み物を変えてみました。 

教育科学 国語教育 2017年 06月号

教育科学 国語教育 2017年 06月号

 

かなり大きなタイトルになっているけど、大丈夫か!?

表紙の名前の方々は有名ですよね。

ひとつひとつのキーワードの内容が重い

今回の改訂は過去の改訂と比べても最大規模のものであるということもあって、改訂に関わるキーワードの数も多ければ、ひとつひとつの内容も重い。

今回の『国語教育』で挙げられているキーワードだけでも15個もある*1

今回の解説は一つのテーマにつき4ページしか紙面がないので、非常にざっくりとしたものではあるのだけど、それでもようやく改訂の全体像が見えてきたなぁ…という印象である。

充実している小・中。高校は?

まだ、高校の改訂はでていないけど、今回の特集では小中高のすべてについてある程度言及されている。

『国語教育』自体が高校よりは小中学校向けの色合いの強い雑誌ではあるので、高校まで書かれているのはありがたい。

しかし、内容が充実しているかと言われると微妙な感じはある。でも、それはこの雑誌の責任というよりは、やっぱり高校の実践自体が少ないということの影響は大きいのではないかとは思う。

高校の実践については早稲田大学の幸田国広先生の以下のような言及がある。

しかし、現状では、「国語総合」が三領域一事項の<総合>科目であることが閑却され、授業も現代文・古典の教材文を読むことに傾斜している。そして、それが当然であるという意識は、現代文編・古典編の分冊という教科書のあり方や、大学入試問題の大問構成、授業担当者の現代・古典分担制、時間割の組み方等を通して、高校国語教員の日常に深く浸透してしまっている。多忙を極める現場が、現状をできるだけ変えずに、そのままスライドさせてこれらの(=改訂後の「現代の国語」「言語文化」のこと)新共通必修科目を受けとめようとする心性を危惧する所以である。(P.57 強調下線は引用者)

ずいぶん現場に配慮した言い方になっているけど、高校の教員をやっていると「多忙を極めて」なんてこともなく、ただ単純に「面倒だから」もしくは「何も考えていない」(笑)から今までのことを反復しているだけのことだと感じる。

まあ、それはいいんだけど、今回の指導要領の改訂を受けて小中学校が敏感に反応して、多くの実践を試みて生徒を送り出してくる一方で、受け手の高校が旧態依然として生徒の変化についていけないことで生徒のことを悪く言う…という光景も見慣れていてあまり面白いものではない。

「実用的な文章」は、何らかの目的に奉仕するために書かれた文章であり、美的、思想的価値は先験的に内在していない。したがって、これまでの文学教材や評論・論説と同じような授業を行おうとすると、「これを読ませてどんな意味があるのか」と、意義が掴めず困惑するのも当然である。(P.58 強調下線は引用者)

センター試験後継テストに対する高校の教員の反応と、この指摘がちょうど同じなのも面白いところだね。

実用的な文章なんて「読めばわかるでしょ、こんなのも分からないなんてレベルが下がっている」なんて妄言を聞くのも疲れるんです。

高校の教員の責任は重い

大学の進学率は半分少し超えるくらいだけど、高校は実質義務教育とも言えるくらいにはほぼすべての子どもが進学している。

そう考えると小中学校が「変わろう」としている一方で、高校の教員が今までにあぐらを掻いていてはどうしようもない。いよいよ大学入試が変わるから重い腰を上げて少しは変えようかという様子も見られるが、結局、テクニックでどうにかしようと予備校と結託している会話が交わされるのも面白くはない。

文学の価値って板書で教えることができるていどに底の浅い話なんでしょうかね。

*1:厳密にはいくつかを抱き合わせてテーマにしていたりするのでもう少し項目自体は多いといえそう

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