ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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高校生が「山月記」を読むと…?

moon

昨日の記事にこんなコメントをいただいた。

www.s-locarno.com

うらの

こんにちは
部外者ながら山月記の授業について、とても興味深く拝見してます。
山月記の内容自体が、ちょうど高校生特有の自意識の高まりとともに、タイムリー?に彼らの興味ある内容なのではないかと思ったりもするのですが、どうなのでしょうか?

うらのさんありがとうございます。

とても面白いご指摘だと思ったので自分の思うところを少し書いてみます。

高校生にとっての「山月記」

初回授業の「山月記」に対する生徒の反応は「難しすぎて分からない」という大変シンプルなものでした。

まあ、あの「山月記」の格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせる書き出しは、しかし、このままでは、生徒がすぐに理解するには、何処どこか(非常に微妙な点において)難しすぎるところがあるのではないかと思われるような反応をされる。

まあ、冗談はさておき生徒にとっては漢文の固い響きがしばらく続くと、あっという間に読むことを放棄してしまうのです。

だから、「山月記」の中でも多くの人が面白いと思うであろう李徴の語りにたどり着く前に「山月記」を読むのをやめてしまうのです。だからこそ、我慢強く一つ一つ分からないところを解きほぐして、美味しいところまで生徒を連れて行かないといけないのですが……まあ、なかなか大変です。 

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「羅生門」も「城の崎にて」も「山月記」も生徒にとっては馴染みのない語彙や表現や価値観で書かれてしまっているので、よほど必然性がなければ生徒は読み通そうとはしないのです。もちろん、個人差はあるけど、基本的に「読んでおけ!」ではダメなのです。

李徴に対する生徒の反応

さて、うらのさんの質問への返答です。

「山月記」の大きなモチーフの一つである「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」のために、李徴が孤独に陥ってしまうということに対する生徒の反応は、確かに興味深いものかと思います。

「山月記」自体が定番教材になって長いこともあって、いい年した大人も「山月記」を読み、大いに感化されて大人になってきたからこそ「山月記」に対して高校生が自分と同じような気持ちになることを期待する人は、職員室で話していると多いように感じます。

ただ、前述のとおり、生徒にとってまず「山月記」を読み切ることが困難であるのでそこまで初発の段階ではなかなかたどり着かないということもあり、まだ、自分の教室だと、李徴に対しては淡白な反応です。

また、自分としてはある意味自分たち大人が期待するような読み方に生徒を誘導していくのは避けたいなぁという思いもあって、意図的に李徴と生徒自身を重ねるような「読み」にならないような方向で授業をしています。

李徴と生徒自身を重ねて良いかという迷い

「山月記」を扱うたびに悩むのですが、わりと多くの先生が「君たちも部活動や勉強で李徴みたいな態度になっていないか」というようなことを投げかけて、「李徴の気持ちが分かるよね」というような読ませ方をする印象がある(まあ、自分の受けてきた授業や自分の近所の話だけかもしれませんが)。

しかし、そのような読み方は「楽しい」かもしれないが、現代文の授業としては適切なのかは個人的には怪しいと思います。

第一に、生徒と李徴の立場があまりに大きく違うことを捨象して「何となく似ている」といって「分かった気になってしまう」というのは、「読む」力を伸ばすことにはならないだろうなぁという気がしている。確かに個人の読書であれば自分と重ねて読んでいくのも楽しい読書だろうし個人の自由でよい。しかし、教室で協働して読んでいこうというときに、個人の感性や体験だけに頼った読み方は共有することが難しいし、内容を共有することも憚られるだろう。共有を前提に授業を考えるなら、個人のナイーブな面とはできるだけ切り離したところについて問う方がよいだろうと思う。

第二に、そもそも「君たちはどうだ!」ということを問うようなやり方が国語として不用意だろうなぁという感覚がある。どうしても国語と道徳は近いところにあるのは否定できないところではあるけど、それでも進んで小説の授業を道徳に寄せていく必要はないだろう。基本的にはもっとドライにテキストを読んで、技術を勉強してもらったほうがよいかと思う。

生徒の読みは決して自由なようで自由ではない。色々な先入観に縛られ、読み落としも多くて、物語の可能性を引き出せているわけではない。

だからこそ、きちんと道徳ではない内容や読むことの技術を教えなければいけないだろうなぁと思う。

定番教材について子どもと話してみませんか

でも、物語との出会い方や付き合い方は自由でよいと思うのです。

だから、ぜひ、大人も読んできた「定番教材」については、子どもと「どんな風に読んだか」ということを共有してみたらいいのではないでしょうか。

そうやって色々な読みを他者と対話することが、題材との対話ともつながり、主体的な深い学びへとつながるのです……というのは雑ですかね。

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