ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

授業で正解を教えないのは不親切だろうか

Questions And Answers

今週も無事に終わりました。毎日、自転車操業でやっていますが、考査が近づいている……ということは裏を返せば単元のゴールも見えていて気分としては多少楽です。

生徒に「山月記」の朗読CDを教えてあげたりするぐらいには余裕が出てきました。 

『山月記』(星海社朗読館) (星海社FICTIONS)

『山月記』(星海社朗読館) (星海社FICTIONS)

 

実家に置いてきてあるので手元にないから自分で探せという意地悪をするけど。まあ、YouTubeに色々な人の朗読があるのでそれで我慢しておくれと思う。

そうやって朗読を聞きながらテスト勉強を始める生徒がいるのはよいことであるのだけど、テスト勉強が始まると「何がテストに出ますか」という質問と「これであってますか」という質問にしつこく捕まることになる……。

「何がテストに出ますか」

こういう質問が出るのは自分がきちんと単元の頭で目標や見通しを示していないのが悪いのだろう。授業自体も自転車操業で生徒の出してきたノートを見て「課題」を考えて提示してきており、クラスによって異なる展開を見せていることもあって、余計に生徒からすれば考査で何をすればよいかということに困るようだ。 

www.s-locarno.com

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自分でも迷走したなぁ……というのは反省ではあるが、それでも「何が出ますか」と言われるのはちょっと苦しい。思わずムッとしてしまう。

もっと毅然として授業の中で「読みの方略」を明確に示して、テストはそのテクニックを出すということを強調すればこういう質問もなくなるかなぁ……。

教科書についている問題についても生徒とすればテスト勉強として解いてくるのだけど、結局、授業では作品を丸ごと読むことを考えているのに対して教科書の練習問題は一般的な発問を明確な方針もなく置いているだけなので全く授業でやってきたこととはかみ合わない。

結局、考査に出せることは「登場人物」「情景描写」「因果関係」などを根拠の表現から離れずに明確に説明できるかどうかということに過ぎない。個人的な解釈は聞きにくいし、聞くのであれば解釈の良し悪しではなく記述の質を評価するしかない。

授業をしている側としては、授業も考査も一貫して同じ思考をしてくれることを期待しているのだけど、もう高校入学以来7回目の考査になるのに相変わらず「何が出ますか」と聞かれ続けるのは、自分の授業展開が悪いんだろうなぁ…。

「これであってますか」

そしてそれ以上に多いのが「これであってますか」と聞かれることだ。

一番、残念でならない質問であるし、これまでの授業は一体何だったのだと…どうすればいいのだ、おれの空費された授業は。おれは堪らなくなる。そういう時、おれは学校の中庭の朝礼台の上に上り、校舎に向ってほえ……ない。

が、これだけ色々と自由に読んでいいことを伝え、自分の中で作品を一貫して読んでくれればよいということを伝えてきたのに…という気持ちはある。 

www.s-locarno.com

「どう読むかは自分で決める」という普段の読書で自分たちがやっていることを、授業の中でも認めているだけなんだけどなぁ……。もちろん、授業であるのでその読みが正しいかどうかはお互いで検証しなければいけないということや一つの読みにとどまらず何度も問い直しして語りなおさなければいけないということは言い続けている。

それでもやっぱり「これであってますか」と言われる……うーん、悩ましい。

生徒は教えて欲しい?

こういう生徒の「質問」に対しての答えを上手く持ち合わせない。

自分としては「何度も読め」としか言えない。

雑な対応なのかしら?

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