ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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ついにというべきか

Target Red Card

本当は書きたいことも少なからずあるのだけど、時間もないので少しだけ。

www.nikkei.comついに来たかと感じる。

文科省の所轄を堂々と侵犯して新しいことを始めようとするのは、ずいぶんとラディカルなことをやろうとしているなぁ……。これは文科省や学校に対する世の中からのレッドカードともいうべきことではないだろうか。

変わろうとしない環境への外圧

 見出しを見ると「教育の生産性の向上」という、あたかも教員を支援しようというような聞こえの良いことを言っているが、裏を返せば「教育現場は非効率でムダばかり」という批判が潜んでいるわけです。

学校現場にそれなりに優れた実践や成果はあったかもしれない。しかし、その成果というものが、世の中の期待する生産性に見合ったようなものではないということ。「古典なんかよりも金融リテラシーを教えろ」というような、世の中から職業訓練的なことが期待されているなかで、「古典は人間性を云々」程度のことしか言えずに来た学校側に、周囲が愛想をつかしたことに他ならない。

それに教育の質を変えなければならないという問題意識に対して頑なに「アクティブラーニングなんてできない」という態度をとってきたある意味で能天気な現場、「教えることは教員以外はできない」なんていう自分に都合の良い思い込みをしている現場、そんな現場に真っ向から冷や水を浴びせている。

なぜなら「外部講師に授業させて生産性を挙げろ」となんて言われているのは「教員には授業は期待しない」と言っているのと大差はない。

教員は自分達の授業が一番で他にその役割を奪われるなんて思っていなかっただろう。だから、「学校の授業を受けていれば入試は大丈夫。予備校は不要」なんてことを強弁してきたわけだけど、こうなってしまえば、名人的に分かりやすいプロの講師の授業と、学校の仕事の片手間に授業をしている自分達の授業とが競争させられるのである。さて、「大学入試に受かるような学力」を教えることについて塾産業に勝てるのだろうか。そこであわてて「学校でしか学べないことを教えている」なんて言い出しても、生産性という掛け声に反論できるほどの説得力があるだろうか。社会の変化を掲げる指導要領の改訂にアレルギーを起こして、不平不満を挙げていた現場が今さらそれをいうか?

問い直される教員の専門性

 改めて教員は自分の専門性を問い直さないといけない局面に来てしまったと言える。

ただ、教えるのが好きならば、外部講師になった方がいい時代になるかもしれない。

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