ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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生徒に委ねて成績はどうなるか

Lesson

アクティブ・ラーニング(AL)型の授業をしていると、様々なタイミングで「生徒の学力を上げられるのか」と問い詰められることがある。

自分としては特段別にALをやろうなんて思っているのではなくて、単純に合理的に生徒の成長の役に立つことを選んだ結果が今の授業のスタイルなのだけど、結果的には生徒に授業を委ねている。

さて、そんな生徒任せの授業で成績はどうなるんでしょう?

意地悪な言い方をすれば

生徒の学力が伸びたかどうかと言われれば「伸びたに決まっている」と言おう。でも、今までと同じような暗記したことを答えさせるようなテストでは「伸びたということを大人の方が理解できない」のだと意地悪な言い方ができる。

つまり、授業でやっていることは「授業で教えたことを教えた通りに再現する」ことではないため、そういうことを試されても点数にはならない。

困ったことに、大学入試の問題の多くの場合は、知識の量がものをいうものであるし、現代文であっても「どれだけ多くの文章を読んだことがあるか」「どれだけキーワードについて知っているか」ということが下支えされている。だから、なんやかんや言っても、大学入試で点数を取りたいというのであれば、物量で押して慣れてしまうだけでだいぶ改善されるはずである。

まあ、その意味だと従来型の国語の授業が別に「大量に」文章を読んでいるわけではなく、一つの文章に何時間もかけて授業しているので、別に授業で「学力」を保障しているわけではなかろうと思うけど、それでも、「こういう風に答えれば点数になる」ということを繰り返し言われれば、様にはなるだろう。

評価軸や評価の仕方を変えなければ

そもそもとして「学力」が何を示しているかを考えないで、ただ何となしに今までのテストで試していた力を「学力」と呼んで、それに合わなければ役に立たないといいだすのは横暴な感じではある。

今後、指導要領が変わり、「資質・能力」を伸ばすことなどが明確に言われるようになったのだから、これまでのような知識さえあれば答えられるような問題でテストから普段のテストが変わっていくことになる……と思いたいところだけど、新テスト案がどんどん矮小化していき、結局、テクニックで答えられるようなつまらないものに矮小化されそうな感じはある。

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結局、大学入試が変わらなければ高校はこれまでのつまらなくて息苦しい一面的で硬直した知識だけを、学力と呼んで都合よく今までと同じことを高校は続けるのだろうと感じる。

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こんな堅苦しくて偏狭な価値観にどの学校もなろうとしたら気持ち悪い。

でも、結局、「入試」に強いからこんな価値観のほうが世の中には人気である。

AL型で学力は伸びるか

「入試」や「テスト」の学力についてはAL型の授業は旗色は悪い。もし、AL型の授業で成績が上がるなら、AL型の授業に加えて従来型のテストに対応できるようなテクニックを教えていることが前提だ。

その意味だと『学び合い』は「課題づくり」で従来型の「学力」についてカバーしつつ、資質・能力については教室において「教科で」学ぶ様子に求めているのは、確かに合理的である。その分、教科教育が独自に積み上げてきたことが入り込む余地がないので、どうしても教科教育のよさは後ろに下がってしまうけど。  

それでも、まあ、自分は『学び合い』はやらないと思うけど。

やっぱり教科教育を捨てられないし、教科教育のなかでも「学力」は保障できるはずだと思うのだよ。

両方をやろうという言い方は

良識があるように見せかけて「どちらもやらなければいけないんでしょう」という言い方をする人は、たいていの場合、AL型のような授業はオマケであってメインとして考えてはいない。各種資料で抜本から学力観の転換を迫っているのがAL型の授業の発端だというのに、だ。

自分の頭で考えてみたら、これまでの偏ったテストの点数だけで生徒を断罪していても、生徒の成長を本当に実現できているかどうか。センター試験が解けるようになったところで、誰かと困らないように生きていけるようになるのか、大学での学問につながるような学びになるのか、自分の頭で考えてみれば気づきそうなものなのだけど。

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