無事、今年の初夏から始めていた放送大学の司書教諭講習のレポートを本日仕上げました。この後に中間考査の作問があると思うと涙がちょちょぎれます。
さて、自分の性格からすれば、この手のレポートは届いたその日にさっさと手を付けて、一週間前には決着をつけて安心をするのが普通なのですが、結果的に今回は締め切りギリギリとなりました。
その理由は……もう、単純に手書きだったということにに尽きます。
とにかく手書きが嫌い
過去の記事でもことあるたびに「手書きが嫌い」だと言い続けてきた自分。
どのくらい嫌いかと言えば、手書きをするなら仕事をサボる。サボって怒られたほうがマシ*1と思っている。手書きが嫌いということも極まって黒板も年に数回しかかない国語の授業を確立しております*2。自分の手書きの字のことについて何かコメントされると心の底からヒステリックにキレます。うるせえよ。てめえも顔真卿に比べたらクソみたい字を書いてるだろ*3。
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今回人生最大のピンチだったのが、放送大学のレポートが、5科目すべて手書きで提出だったのです……。
述べ文字数にして、4000字くらい?なんと原稿用紙10枚も手書きをしなければならないのです。一つの科目あたり短いものは700字程度、長いものだと1200文字も手書きをしなければならないのです。
こんな生き地獄があっていいのでしょうか。放送大学って偉そうなWeb学習システムあるんだから、ネット添削でいいじゃねえかよ、どうして今時、手書き信仰なのだ。手書きで「情報メディアは電子媒体も存在して、その活用の重要度が…」だとか「生徒のICTスキルの向上には」なんて書いているなんて、なんて悪い冗談なんだ。
手書きによって思考が止まる
自分は大学に入った時から、それこそ高校の時のレポートから、パソコンを使ってきている。だからこそ、手書きで何かを書けといわれるのは非常に苦痛である。元をたどれば、子どもの頃の書写指導でヒステリックに怒られたことが「書写なんて滅べ」という信念を生み出し、憎悪と結びついて自分が頑なに手書きをしないことに繋がっているのだけど、そうやって割と若いころから手書きを避けてきたので、手書きで何かをやるということが非常にストレス。
大学入試や就職のときの試験も手書きで書かされたけど、「てめえが手書きって言ったんだから責任もって読みやがれ」と全く丁寧に書く気なし。むしろ日常よりも酷い字で書いてやるくらいにへそは曲がっている。
いや、確かに手書きを滅ぼそうと積極果敢に酷い字で相手を挑発しているのは確かなのだけど、手書きで書いていることで、自分の思考が止まってしまい、書きたいことを時間内に書くことが難しいのです。
どういうことかと言えば、自分の考えていることを書き表す時、手書きは思考スピードについてきてくれないのです。どんどん考えていることがあるのに、手書きでは追いつかないし、何を書いているわからなくなるし、自分の字を後から見て他の人には理解不能なくらいイラつくし、そもそも思考に追いつかないから書きたかったことが消えるしと、もう、最悪なのです。
今、こうしてキーボードに向かってブログを書いているけれども、キーボードはタッチミスが起こって変換ミスの誤字だとかはあるけれども、文脈を考えれば誤字は致命的にならないし、アウトラインを守って書いていれば、それほど読みにくくなるということはない。
そもそも、ほとんど考えていることと並行するようなスピードで書くことができるし、量が増えても全然苦痛にならないで書くことができる。この感覚は完全に手書きとは断絶している。
手書きももちろんするけれど
ここまで手書きに対してヘイトをまき散らしているのに、実は先週Applepencilを買いました。
いやぁ…Applepencilの手書きはめちゃくちゃ快適ですよ!どうして去年、これをさっさと買わなかったのか自分が愚かに思えるくらい。
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って、こういうことを言っているのに、「手書きが嫌い」とは、矛盾していないかと言われそうです。
しかし、全然、矛盾していません。
別に手書きが嫌いだとは言え、手書きの素早くメモできることの良さや、パソコンやポメラを出すまでもないメモであれば、メモ用紙に書きます。
レポートなどの清書を書く前に、キーワードを整理したり、条件を書き出して狙いを探ったりといことは、もちろん手書きでやっています。図を書いたりはPCはやりにくいからね。
自分が問題にしたいのは、まとまった文章を構築していくときに、手書きが非常に自分にとって思考の枷になることである。せっかく嫌いな手書きであっても活用して、書きたいことをまとめているというのに、書き出してからボロボロと思考が崩れていく原因に「手書き」がなることが本当にストレスなのです。
その意味だとApplepencilのメモは「なくならない」し、いろんなデバイスに同期されるし、検索も圧倒的に楽だし、他のファイルに直接書き込めたり書き込んだものをメールできたりと、ただの紙以上に便利なのです。だから、手書きな嫌いな自分であってもこのメモは使いたくなるのです。
手書きの代替手段はいくらでもある
図を書いたりちょっとしたことを書き出したりするには手書きが便利ですが、それすらも電子デバイスのおかげで鬱陶しい現物を持ち歩かなくて済むようになりそうなのです。まさにiPadは自分にとっては手書きのストレスを減らした神いや紙デバイスなのですが、思えば、手書きを回避するために昔から自分はいろんなことをしてきました。
中三のころからいわゆるケータイをもっていましたが、そのケータイのメモパッドを使ってできるだけ手書きを回避。部活でメモをケータイで取っていたら怒られたけど、そんなものは知りません。手書きをしないで済むのが本当に愉快。
そうしてiPhoneなどのスマフォ時代になったら、ボイスレコーダーも電話一つで済むようになったのですから、まさに革命です。大学時代はボイスメモも比較的よく使っていました。
今となったら音声メモが勝手に文字起こしされるわけです。音声メモが文字起こしされる時代に、わざわざ手書きする理由ってどこにある……?と、手書きを強要する人に対して冷ややかな思いを抱いています*4。
この先、さらにデバイスが進化して、汚い自分の手書きが、自動的に電子化されるようになったら、いよいよ手書きのストレスから抜け出せそうです。ずいぶん、世の中は近いところまで来ていますが。
教室に置き換えて考えてみれば
作文を行う時に、手書きによってストレスを感じて、「書くこと」以外のことにストレスを感じている生徒は少なくないんじゃないかと思う。
手書きの一番のデメリットは、一度ミスをしてしまうと取り返しがつかないことだ。あとから推敲をしたり、書き直したりということが非常に面倒くさい。
構成を一からやり直すくらいなら、そのまま不満足でも提出してしまうことなんて、あたりまえに起こることですよね。
最近の学生は卒論すらもスマホで書くという言いますが、一面では「え、図表とか無理じゃね?」と思う一方で、純粋に文章を書くということではバカには出来ません。文章を書くだけならば、学生たちにとって慣れ親しんだスマホのフリック入力が一番自然な方法なのかもしれません。自然に使いこなせているからこそ、思考に負担をかけることなく、ストレートに書きたいことが書けるという感覚があるかもしれない。
教室でスマホで作文を書かせるって、この一文だけみるとヒステリックな反応をされそうな気がする。高校生ならともかく小学生がスマホで作文を書く授業なって絶対に嫌な顔される。
しかし、本当に「手書き」で書かせることに、それほど教育的効果があるのでしょうか?手書きを強要することで起こっているデメリットの大きさの方をちゃんと評価しなければいけないのではないでしょうか。
さて、そろそろ放送大学のレポートよりも多い文字数を書いたので、今日のブログはここで筆をおこうと思う。筆なんて持っていないけど。
自分にあった道具を使えば、楽々と色々なことが書けるのに、自分にあった道具を選ぶ権利すらないで書けと言われるのは中々に苦痛だ。