ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

教員が学びを重ねるとはどういうこと?

Education

知り合いの教員から「大学院に行こうか迷っている」という相談を受けた。

自分よりも年下であるのだけれども、自分のやりたいことと自分の勤務校の差が気になって勉強をしたくなったということが大きいそうだ。

自分は一応ストレートマスターとして大学院は出ている(入って追い出された)けど、現場の先生がわざわざ私財を投げうって勉強しようという姿勢を見てきた立場からすれば、知り合いがそうやって本気で勉強したいと思うことには心から敬意を感じる。

一方で、現場で悪戦苦闘しながら勉強を積み重ねて、誰にも真似できないことを成し遂げる人もいる。

はたして、教員ってどうやって学ぶものなのでしょう?

挑戦できるチャンスがあるなら

個人的な意見にはなるが、挑戦できる財力*1と環境があるなら、大学院に行くべきだと思う。もちろん、自分が教育学部の院生だったから、普通の人たちよりは教育学研究の大学院をひいきしてみていることは否定しない。でも、自分が大学院生のときに出会った「現場からわざわざ休職してまで大学院に学びに来ている先生方」のバイタリティの凄さや大学院で残していった実績の凄さを見ると、現場を経験してなおかつ大学院で自分の仕事を相対化して意味づけて、一つの大きな成果としてまとめていくことの素晴らしさを感じるので、自分の知り合いにはぜひともそういう学びにチャレンジしてほしいと感じる。

自分だってチャンスがあるなら博士課程で勉強したいし、自分のやっていることをちゃんとまとめて残したい気持ちはある。まあ……そのためには職場を変えるほうが先かもしれないけど。

論文を読んだり書いたりすることは現場には関係ないか?

自分は大学院からの習慣として、何か実践を作るにしても自分のしていることを他人に説明するのにしても、「とりあえず先行研究を調べる」ということや「自分のやっていること意味はこういう仮説です」という説明を文章に書くことは続けている。まあ、平たく言えば、本や論文を読んでから自分の考えをレポートにまとめないと気持ちが落ち着かないのです。

しかし、学校に就職して思うのだけど、そういうある意味で「授業とは直接関係しない」(ようにみえる)ことを職員室でしていることに対して、周りの目は決して優しくはないのだなぁということ。論文や書籍を読んでいると「遊んでいないで学年の事務作業をしろ」と言われたことは一度や二度ではない*2。自分の授業を公開して見てもらうために、一生懸命指導案などを書いても、一目も通さないで捨てられるなんてことも一度や二度ではない。

その割に「教員がまともに授業できていないから生徒が悪くなる」という主張をする人が少ないくないのは……まあ、自分としては色々と理解ができない。

確かに、何か難しい論文を読んだところですぐに授業にはいかせない。例えば、現在であれば、アクティブラーニングが全盛ですけど、溝上慎一先生の本は周りに進めても全然、読んでもらえない。

アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換

アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換

 

個人的には「原理・原則」を説明している本だし、こういうところから議論をしなければいけないと思うのに、「こんなの全然現場には役に立たない」と切り捨てられる(そもそも難しくて理解できないと言われる)。

逆に人気があるのが

アクティブラーニング入門 (アクティブラーニングが授業と生徒を変える)

アクティブラーニング入門 (アクティブラーニングが授業と生徒を変える)

 
図解 アクティブラーニングがよくわかる本 (健康ライブラリー)

図解 アクティブラーニングがよくわかる本 (健康ライブラリー)

 
アクティブラーニングに導くKP法実践: 教室で活用できる紙芝居プレゼンテーション法

アクティブラーニングに導くKP法実践: 教室で活用できる紙芝居プレゼンテーション法

 

この手のノウハウ本である。

別にノウハウを否定するつもりはないのだけど、「原理・原則」を理解しないで、すぐに役に立つものばかりやっているとしたら、その「役に立つこと」が合わない子どもに対してどう向き合うつもりなのか……自分にはよく分かりません。

教員はなぜ学ばなければいけないのか

やや愚痴っぽくなりましたが、結論をまとめましょう。

なぜ、教員が学ばなければいけないのかといえば、それは「あらゆる想定外に備えて、どんな子どもに対しても100%成長を保障するため」ということに尽きるのだと思う。つまり、小手先のノウハウや場当たり的な教材研究をやっているのでは、教員自身の経験や能力を超えてしまった生徒に対して何もしてやれないということになる。

これから先に、どんな子どもと巡り合うのか、どんな社会からの要請があるかは一切分からない。しかし、それでも、教員自身が原理・原則を掘り下げて、自分自身の哲学を持つことで、少しでも多くのことを生徒に伝えられるのではないかと思うのです。

教員の哲学の重要性は最近、記事を書いたばかりだ。

www.s-locarno.com

別に大学院にいくことばかりが重要ではないかもしれない。ただ、大学院という場での学びは、原理・原則を探究することに向いているし、自身の哲学を見直すにはよい場だと思うのです。

余談

教員のライフコース研究ってちゃんと分野としてあります。例えば

国語科教育学研究の成果と展望 2

国語科教育学研究の成果と展望 2

 

などに書かれております。

興味ある方はご覧くださいませ。

*1:財力は何事にも先立つ。悲しいけど現実だ。現実的でないのに勉強はできない。

*2:念のためにいっておくけど、火急の事務作業なんてなかったからね!自分で仕事見つけろって言いたかったのかは知らん。

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