ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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ゼロから、少しずつ、変えていく

Zero

研究会の感想はまた後日。疲れて頭が働かないので。

しかし、研究会で見たことや話し合ったことを受けて思うことを書いておこう。

この、今だからこそ

研究協議会で先生方で授業についてグループワークをして深めるということがすっかり一般的になった気がします。個人的には苦手であるし上滑りする感じがして嫌なんだけど、時にはその嫌さを忘れるくらいいいことはあります。

今日もどうだったかは、また今度にまとめるとして、素朴に感じたこととして、まさに今から、今だからこそ「教育をどうしたいのか」ということを教員が問い直していかなければいけないのだろうということです。

最近の研究会のグループワークで上手く話せないと感じることが多いのは、まさに「教育」だとか「自分の授業で目指したいこと」だとか、本当に根本的な価値観が中々上手く伝えられないということが原因にあります。根本的な価値観が違うから、表面的な現象について話し合おうとしても、全然評価が変わってくるし、意見の食い違いへの対処が難しくなる。

自分の教育への価値観という意味では、やはり最近では苫野一徳先生の哲学に触れていることは非常に大きい。

問い続ける教師―教育の哲学×教師の哲学

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教育の力 (講談社現代新書)

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勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方

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どのような教育が「よい」教育か (講談社選書メチエ)

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そもそも大学で一番興味をもって勉強したのがプロジェクトベース学習(PBL)である*1ので、発想としてとにかく「個人」と「自由」ということ、そして子ども自身が自分で学ぶべきことを決められる、自分で自分を成長させられるという信念*2がある。

www.s-locarno.com

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正直、このすれ違いは、根本的に根暗で人見知りな自分にとっては致命的に苦しい。正直、ナイーブな部分であるだけに対話すること自体の徒労感があるし、警戒感がある。

しかし、今までの一斉授業からの転換が世論の向きとして説得力のある言説として受け入れられつつある今だからこそ、その根本的な価値観のところまで下りて行って議論しなければいけないのだと思う。

自分がPBLの勉強を始めた十数年前は、総合学習が頓挫しつつあり、ゆとり否定に世の中が躍起になっており、とてもじゃないけど「子どもに任せる」なんて現場の多くは信じちゃいなかったように感じる。しかし、今となっては猫も杓子もアクティブ・ラーニングである。ここにきて、潮目は変わったのだと思うけど、根本的な価値観はそうそう変わらないのは当たり前でしょう。

だからこそ、やはり羊頭狗肉になることがないように、根本的な価値観を見直していかなければいけない。

たぶん、教え込み一辺倒を捨てられないのも論外だし、色々な意見があっていいよねと踏み込まないのもダメだ。

今から勉強を始めよう。そして、粘り強く価値観を鍛えなければいけない。その価値観の鍛え方が経験則でも根性論でもダメだ。名人にはなれないもの。

自分は自分として「個人」と「自由」を根本とした教育のあり方を対話していこうと思う。

*1:だからこそ、形だけのPBLだとかPBLの定義の甘さにはかなり噛みついてしまいます。

*2:自分が噛みつくようなPBLの論じられ方では、この根本が共有されていないという感覚が強い。例えば「問題解決型」とPBLを訳す向きがあるけど、それでは「子どもが自分で自分を成長させられる」というニュアンスがなくなっていると思うし、問題を決めるのが大人であることが非常に多いように感じる。

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