ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

自分の受験は少ないけど

今週のお題「受験」

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高校の教員という仕事をしていると受験は毎年の仕事である。

自分の受験の回数よりはるかに多くの回数の受験に関わっていくことになる。

たかが受験のために…

受験は当人にとっては非常に重いイベントだ。

自分一人で決められれば、それほどらくな話はないのだろうけど、実際には親の意向もあれば、人間関係でがんじがらめにされることもあるし、えげつなく金が問題になることだってある。

自分一人で決められるという思い込みが、本人にも周りの大人にもあることが話を毎年複雑にしているように感じるのである。

幸いにして、今の大学入試の大部分はどんな経歴であっても点数を取れさえすれば、どうにでもなるという意味ではまだマシなんだろうけど、それでも受験をめぐって生徒同士の関係が悪くなることだって少なくない。誰が指定校推薦もらえるもらえない、入試が早く終わる、最後までどうなるかわからない、個人の予定と学校行事の矛盾だとか……とにかく、複雑怪奇な制度になりつつあるので、結果的に、子ども同士だってそれぞれの立場から見えているものが違いすぎて、喧嘩しなくていいことを喧嘩してしまうし、お互いに後味の悪いような振る舞いをしてしまいがちなのだ。

入試を煽っている側の立場でいうべきことではないのだろうけど、たかだか入試くらいで人間関係を悪くするのはバカバカしいことなんだよ。

特に中学校から私立に通っている子どもたちにとっては、今ある人間関係が大人になっても帰ってくるような地元と同じような場所である。入試の一年くらいで人生で二度とふり返ることができないような場所にされてしまうのは悲しいことである。

自分のことを最優先で考えてもいい。でも、他人まで自分勝手に巻き込んではいけないのだよ。

たかが受験なのです

一方で、受験勉強は徹底的にするべきだと生徒には言います。

何のための勉強なのかといえば、自分のやりたいことをやるためのハードルなのです。実はそのハードルよりもハードルの後の方がよほどキツイことの方が多いわけで、その意味でも「たかが受験」なのです。

もちろん、自分でハードルをどう設定するかは比較的選択の余地があるのだけど、苦労の総量はあまり変わらない。将来的に苦労するのか、それとも別の形で苦労するのか、ハードルを下げ続けるのか……自分にとっての苦労の総量は長期的に見れば見るほど変わらないでしょう。

普通の受験勉強が必要なら、徹底的に頑張ってほしい。そのための手は尽くすから。

受験に関係ないからこんな授業やりたくないと言われることほど悲しいことはない。言われたことはないけど。

受験をちゃんと自分で頑張れると思ってもらいたいし、受験に頑張るときにはそれなりに応援もできるのだということが伝わっていないと、たぶん、受験にすぐに役に立つことを授業でやるしかなくなってきてしまうんだろうな。

受験に対して余裕のある学校でありたい。教員も生徒も。

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