ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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学びの質を見極める一つの基準

Blackboard

今年の春に入学する高校1年生は、センター試験終了後の新テストを受験する子どもたちだ。そのため、この四月からいよいよ本格的に授業がアクティブ・ラーニング型へと転換していくのだろうと思うし、学びの質をどのように考えたらよいのかということが議論されるのだと思います。

そんな時だからこそ、自分の教室の学びがどのようなものなのかを判断するための基準が欲しいと感じるところです。

破壊的イノベーションの教室

今日、再読していた

ブレンディッド・ラーニングの衝撃 「個別カリキュラム×生徒主導×達成度基準」を実現したアメリカの教育革命

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の中で、こんな一節がある。

破壊的*1なブレンディッド・ラーニングの簡単な見分け方が一つあります。ブレンディッド・ラーニング環境で学習している教室に入って、どちらが前か見分けがつかなければ、多分それは破壊的なモデルです。…(中略)…教師の役割が重要であることに変わりはありませんが、理想としては「教壇の賢人」から助手、議論の進行役、プロジェクトのリーダー、カウンセラーなど、別の役割に変わることです。(PP.80-81)

これはあくまで「ブレンディッド・ラーニング」の教室かどうかという判断基準であるという意図で書かれたものだけど、そっくりそのまま、「学習者中心の教室」かどうかということに当てはめて考えてもよいのかもしれない。

会場の座席レイアウトの呼び名として「スクール形式」というものがある。

スクール形式 - Google 検索

見てもらえば分かるように、一方を「前」として全員が同じ方向を向いている配置のことをこう呼ぶ。

たぶん、「スクール形式」という呼び名を知らない人でも、「スクール形式」といわれれば、こうやって並べるんだろうなぁと思う。

しかし、これはなかなか屈辱的なことなのかもしれない。何の工夫もなく、話したい人が前に立って勝手に話すという形式が「スクール形式」という名前であるなんて。まるで学校が一方的に誰かが話すだけの場所みたいではないか。

どちらが前か見分けのつかない空間は

しかし、考えてみると教室ほどどちらが「前」でどちらが「後ろ」かということがはっきりと分かるスペースもそうそうない。

朝、ホームルームにいけば、生徒は整然と自分の席に着席し……てもいないけど、基本的には「前を向くこと」は幼いころから躾けられているように思う。

授業も今、やり玉に挙がっている「一斉授業」とはまさにそのための形である。ヒドゥンカリキュラムなんて言葉を出さなくても、それが「当たり前」として成立させなければいけない空間として教室はデザインされている。

思えば、学校の中で前と後ろの区別がつかないという空間ってあるのだろうか。図書館くらいかな?もしかしたら、アクティブ・ラーニング用のスペースを作ってある学校もあるかもしれない。

この記事を書いているうちに気づいたが、自分が教室で授業をやりたくない、息苦しさを感じる理由は、この「前と後ろ」がはっきりと分かってしまう空間が嫌なのかもしれない。いつでも自分が教壇に立ってしまえば、「正解を持つ人」に祭り上げられてしまうよな、教壇に誰かが立つことを待たれているような…そんな違和感なのかもしれない。あと、単純に狭い(笑)。

教壇に頼っていないか

授業で何かを指導しなければいけないのは間違いない。しかし、その指導のための方略が「教壇に立つこと」になっているのではないかと、反省しなければいけない気がしている。

なぜ、伝えることに教壇に乗ることが必要なのだろうか。もっとよい伝え方はないのだろうか。効率を理由に方法の検討の幅を狭めていないだろうか。

もしかしたら、教育にとって破壊的イノベーションで破壊されるものは、教壇と黒板が一番最初にくるべきなのかもね。

全面がホワイトボードの教室ってのもあったよね。あれもよく考えたら、前がなくなるということなのかもね。好きな方を向いて好きに使えるのだから。

自分の目が向いている方向が「前」でいいじゃないか。他人から見て後ろに見えたって。大人が前がどっちかなんてまで決めてやる必要はないはずだ。

*1:ここでの「破壊的」という言葉は、クリステンセンが唱えている「破壊的イノベーション」の意味。つまり、全くの新しい価値観によってもたらされる変革…くらいの意でよい。

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