気づくと1月も終わり、2月も中旬を迎えようとしています。
大学入試も段々と佳境を迎えつつあるように感じます。そうなってくると、そろそろ自分の方の考査問題の作成と学年末の評価をどうするかを考え始めます。
ワークショップ型の授業と考査の相性の悪さ
もとより覚悟はしているけれども、それでもやはり今の授業形式は「総括的評価」や「診断的評価」とは相性は良くない。
「普通の感覚」で客観的な根拠を示して5段階なり10段階の通知表を付けろと言われるとかなり苦しくなるのは事実である。
申し訳程度の証拠として、生徒のノートの記述の変化や単元の最終課題などについてのパフォーマンスを評価するなどのことはしているけど、そもそも「パフォーマンスを評価する」ということ自体がかなり難しい。
例えば、リーディング・ワークショップのパフォーマンスって何なのかと言われてしまうと、かなり苦しい。理想や目標として「本に没頭できる」「自分が読むべきものを自分でわかっている」ということなどを挙げることはできるけれども、それはあくまで「理想」であって評価「基準」では勿論ない。
教科書準拠のカリキュラムにしても、今はリテラチャー・サークル形式で授業しているが、クラスやメンバーで全然異なる解釈や読み方をしているものを、画一的な考査で試すというのはかなり無茶があるのも事実である。
そもそもリテラチャー・サークル形式で授業を進めている一番の理由は「物語は自分が組み立てるものである」ということを子ども達に手応えとともに理解して欲しいと思っているからだ。「自分自身の物語」をこだわらせたいというのに、考査で「これが正解、これはダメ」ということをやってしまうのは自家撞着だろうと思う。
開き直ってもいるけど
授業形態と考査の相性の悪さは分かっていることではあるので「仕方ない」と字文の中では開き直っている部分はあるけど、とはいえ、学校という枠組みの中にいる以上は、生徒だって真面目に考査の準備を、考査の勉強をしようと必死だ。
真面目に、前向きに勉強しようと思っている生徒のことを自分の勝手な開き直りのために足蹴には出来ない。
丁寧に考査で「何を試すべきなのか」ということを考えなければいけないと感じる。本当は考査を減らしたり、小論文形式で出すことが出来ればいいのだけど、上下左右との足並みを揃えるためにはそれもできない。
考査に向けて準備させる……うーん、不自然な気はする。結局、点数を取るためだけに短期間で覚えたことは、あっという間に忘れることになるし、他のどこにも役に立たないと思う。
考査は総括ではないと思いたい
生徒の意識の中で、考査が終わってしまうと、そこまでの学習は金輪際一切関係ありませんという意識を持ちやすい。終わったことはふり返らずに、潔く捨てていく……いや、格好つけている場合ではないのですけど。
しかし、そうやって生徒の中で「一区切り」してしまって、学んだことをしまい込ませてしまう原因は、「そういう試験」をしているからだろうと思う。
試験で出したことが一切、その後の単元につながっていかないというような出し方をするからではないのかと思う。例えばこういう本を参考にしてみよう。
この本の中で「逆向き設計」の授業のためには「本質的な問い」が必要だという。ここで挙げられているような「本質的な問い」を考査で出すことを考えてみるのもよいかと思うのです。ま…本質的な問いとは何かというところが難しい。
この本の例だと、たとえば魯迅の「故郷」の例としては「立場や境遇を超えて、友情は成立するか」というものが挙げられている。この問い自体の適否の議論は避けるけど、この一問だけでは考査は作れないし、だからといってこの問いに答えさせるためのブランチを増やせば増やすほど、「本質的な問い」が見えにくくなる。
しかし、「本質的な問い」を意識するということは、授業設計にも重要なことであるので、両立できる方向性なのだとは思う。
入試問題はどうなのか
また、入試問題を解けるようにしなければいけないということを勤務校の立場としては背負わされているため、そのことから目を背けるわけにもいかない。
しかし、実はこの点についてはそれほど悩まなくてもいい気はしている。というのも、センター試験や国公立大の問題をはじめとして、大学入試問題をちゃんと吟味するとかなり出来の良いものは多いと感じる。
最近、大学入試問題の採点ミスなどが話題になっていますが(笑)、大学によっては出題方針や模範解答を出しているところもあり、かなり参考になります。
慶応や広島大学の複数の資料を読ませる小論文なども好きですね。そのまま授業の素材にも出来そうですし。
テクニカルにやれば解けるなんて思うのは、最近の入試の傾向からすればやや外れているんじゃないかと思います。ちゃんと丁寧に読む、丁寧に考えるということを繰り返せば、正答にたどり着けるようになっていると思います。
授業はのびのびと
なんのために授業しているのか。
楽しくないとダメですよね。