ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

ちゃんと伝わるのでしょうか

School

ようやく学年末の忙しさの山を乗り越えることができて、修了式に向けて準備を進めていくことになります。来年度は大きく変わる環境となるので、今から情報収集と入念な準備をしたいところです。

とりあえず、今は補講として今年度のセンター試験を解説中です。

ただ、接待するなら難しくはないけど…

塾講師としてもそれなりに働いていたので、「分かった気にさせる」だけでいいなら、あれやこれやと打つ手はある。そして、それによって「分かった気分」にさせてお帰りいただくことも、まあ、それなりの確率で出来る。

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前にもこんなことを書いたけど、気分としては変わりません。

たまに一斉授業をやると効率に進んでいくし、とてもエライことをやっている気分にはなりますが、どうも最近は怖さのほうが先に立ちます。

一斉授業をやっていると、全く生徒の考えを見取ることが出来なくなる。生徒とカンファランスをするような形で、生徒の間に入って授業しているときにはあれほどよく分かる生徒の個人差が、一方的に話していると全く見えてこない。

とにかく、そのことが恐ろしい。

分かりやすくてもできるようにはならない

自分の授業が分かりやすいかどうかは脇に置くとしても、分かりやすい授業でいくら理解を深めたところで、自分で何かができるようにならない。

どうしても分かりやすくしようとして、説明の時間を増やせば増やすほど、生徒自身が考える時間が、自分で何かを作業する時間が減ってしまっていき、習得のために試行錯誤できる時間は減ってしまう。

自分でちゃんと復習できればいいともいえるだろうし、生徒をやる気にさせて復習させてこそ一人前言われたらどうしようもないけど、授業の中で生徒をお客様にさせてしまうのも、イマイチ時間がもったいないよな…と思う。

国語の授業であれば、きれいに構造化された板書を作って生徒に言葉を尽くして説明すれば、生徒も分かる気にはなれるだろう。もちろん、それを手本として生徒自身が真似して自分で少しずつできるようになることも多いのだろう。しかし、それを一年間もずっと繰り返しているのも何だかなぁ……。

たった数回の解説授業だけど、もう、一回やったししばらくいいかなぁ…と感じたりもする。

入試問題への対応法は、端的にいうなら、書かれていることを構造化して理解し、設問に合わせて情報を加工するだけでいい。雑な言い方だけど。

でも、書いていることを構造化することは、生徒にはかなり難しいこと。それができないから入試問題が選抜として機能する訳ですし。だからこそ、ちゃんと練習させなければいけないのだけど、人の頭の中でどうやって情報をぐちゃぐちゃやっているのかということは、話しているだけでは見えてこないからね……。

きれいに板書をまとめて、分かった気にさせているだけではダメだよなぁ……。

さて、何をしていけばよいのでしょう。

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