生徒の「しんどさ」は情報として共有しなければいけないのが、この仕事の苦しいところである。他人の「しんどさ」を共有することによって自分が苦しくなることは避けられない。
驚くほどに「しんどさ」は多い
生徒のことをお互いに共有していくと、「しんどさ」を抱えている生徒は非常に多い。それこそ、細かいことを言い出せば全員に異なる苦しさがあるだろうし、優先度の高いものだけを共有するとしても、その数は決して少なくない。
その理由も種類も様々である。これほどまでに世の中の苦しさというものがあるのかということをまざまざと見せつけられるのである。
こうして他人の「しんどさ」に触れていると、自分の方が苦しくなってくる。どれだけ自分が楽をして生きてきたのだろうと思わされる。少なくとも勤務校は「選抜」は行われる学校であるので、相対的に見れば「しんどさ」を抱えている生徒はかなり少ないはずなのである。
にも関わらず、自分自身がこれだけの情報量を受け止めるのに四苦八苦する。繰り返すが、やはり自分のこれまでが恵まれて、ラクに生きてきたのだ。
誰がどれだけ真剣に…
この「しんどさ」とは誰かが受け止めなければいけない。
でも、学校が、教員がそれをどこまで受け止められるというのだろうか。
一個人の教員が一人でそれを引き受けてしまえば、きっとそれは立ち行かなくなる。
だからといって、チームを組むと簡単に言うけど、この手の問題に対する感度は教員によって全く異なる。その感度の差に挟まれることは誰にとってもプラスにはならない。
上手くいかないものである。