ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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授業をしなくなってきた

For everything that lives is Holy

三年目の持ち上がりなのでマンネリと言えばマンネリとも。

そして、自分の興味関心として自分が手を込んだ準備をして、生徒を思い通りに動かすということに興味がなくなっている。

さて、そんな調子でどんな授業をしようか。

受験生を受け持つ

今年は何度か話した通り、高校3年生を受け持っている。

受験のことを考えながらも、じっくりと考えて、自力で読んで、自分で情報の構造化ができるようになってほしいと思っている。結局、今、現代文の授業でやっているような「読解」→「整理」→「論述」という作業は、大学での勉強の仕方そのものである。

与えたワークシートを埋めさせることで出来た気にさせることも卒業しなければならないし、そもそも問いと立てるということを考えさせなければならないと思っている。

そうなってくると、素材となる文章を与える→足掛かりになる問いを与える→じっくりと時間を使って考えてもらう→見守るだけ……という非常に地味なことになる。もはや、授業に教員がいなくても…(笑)。

自分が育ててきて思うが、学力差が大きくなりすぎている部分もあるので、自分のペースで学んでもらいつつも、授業で交流を組織して固定的にならないようにしていきたい。

今月の『教育科学国語教育』の溝上先生の連載記事には、灘高校の例の「伝説の授業」のことが素材にされていた。

教育科学 国語教育 2018年 05月号

教育科学 国語教育 2018年 05月号

 
〈銀の匙〉の国語授業 (岩波ジュニア新書)

〈銀の匙〉の国語授業 (岩波ジュニア新書)

 

この「銀の匙」の授業が国語科の授業として妥当かは、昨日の古典の話と同じで疑義がある。

www.s-locarno.com

しかし、溝上先生の解説は割と早々とこの銀の匙の授業自体は放り出してしまって(笑)、「とにかく書く」「とにかく頭の中を外化する」ことが重要だということがかなり強調されていましたが、自分の授業の設計としても、「とにかく書いてみる」「書いたものを説明してみる」「書きなおしてみる」ということを重視したいと思っているのである。

しかし、簡単に「書きなさい」「書き直しなさい」といっても、手が中々動かないことも現実とあるので、悩ましいところである。どこまで問いを与えるのか、どこまで支援するのか……もっと研究が必要なのだと思う。

ま、その研究の成果を披露しないのも寂しい感じもしますが(笑)、自力でやらせようとすればするほど、授業で自分がやることはなくなる。そのうち授業しなすぎるとクレームを受けそうな気もする。

心の余裕がなくなってくると…

頭が痛いのが、そうやって何とか生徒が各自のペースで進めようとさせると、時間をダラダラと使いがちである。時間を与えても上手く煮詰まらなかったときに、さて、先に進むか、もっと時間を与えるか……。たぶん、自分の研究が甘くて素材の与え方にミスがあるので、そのリカバリーが難しい。

心に余裕があるときは、じっくりと反応を待つことは出来るのだが、授業数が足りなくなってきたときに、口出ししないで待てるのだろうか。

一体、自分は何をさせたいのか。その一点をブレさせないために、授業で口出ししないで済ませたいのである。

何だろうな、やりたいことを目指せば目指すほど、話すことがなくなる。

うーん……手抜きに見られそうだなぁ。

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