ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

昨日の記事の補足情報

Cat

昨日、こんな記事を書いた。

www.s-locarno.com

 

週刊東洋経済 2018年5月12日号 [雑誌](AI時代に勝つ子・負ける子)

週刊東洋経済 2018年5月12日号 [雑誌](AI時代に勝つ子・負ける子)

 

 

そうしたらこんな追加情報をいただけた。 

rochejacmonmo.hatenablog.com

なるほど、このデータが発言の元ネタだったのか。

自分としても愚痴のようなつもりで書いていたので発言の裏取りまでしなかった(雑なことしてますね…)ので、元ネタが分かってすっきり。

ミスリードの酷さを一層感じる

今回の「6割が入試に記述問題なし」については、どうやら以下の内容が原因らしい。簡潔で分かりやすいので、引用すると…

「記述式試験を課しているのが4割」という記述にすり替えられてしまった。具体的な科目名が限定されていたはずなのに、報道される際に、範囲が拡大されてしまったのである。

「国語・小論文・総合問題」を「記述式」と拡大解釈するミスリード - rochejacmonmoの日記

つまり「科目名」を限定していたはずのものを「記述式」へとすり替えたのである。

もちろん、「国語・小論文・総合問題」を行っていないので「記述の訓練が足りない」というのであれば、それは主張として一貫性はある。しかし、「国語・小論文・総合問題」だけを「記述式問題」と呼び、「記述式問題を大学入試で課していない」という主張になれば、それは歪曲といっても差支えがないレベルで、誤った表現である。

特に、先に引用した『東洋経済』の鈴木寛氏のコメントは

読む力と書く力は表裏一体だ。読解力が習得できているかは、回答を記述させれば一目瞭然。記述の訓練を受けている生徒は、文章の構造を理解して、全体の流れを整理しながら読む力が養われていく。(P.29)

 となっている。

上のこのコメントを読み、「国語・小論文・総合問題」に限定していると読めるだろうか。まあ、「文章の構造を理解し…」というあたりは、国語などを意図していると言えるかもしれないが、「記述の訓練」や「整理しながら」あたりについては、国語などに限定しては考えにくいのではないか。一億歩譲って(譲る気はない)理数社の科目はそうではないといっても、英語については完全に文章である。

まあ、国語力じゃないと強弁することもできますが。

しかし、該当の鈴木氏のコメントの掲載されているページでは「数学や国語」で21年の試験から記述が導入されることや地歴公民や理科などでの記述の導入を検討していることが紹介されているのであり、その文脈を踏まえて読むのであれば「記述問題」は国語に限定したものに読むのは難しいのではないか。

あ、もしかして文脈を切り離して文字を表面的に読むリーディングスキルテストを志向した紙面構成なのか!なるほど、誤読するのは読解力が足りないのか!

捻じ曲げたのは誰?

冗談はともかく、さて、この「6割が入試に記述問題なし」というミスリードを、『東洋経済』の記事では誰が行ったのかということが気になるところです。

もし、鈴木寛氏が行ったので得あれば、文科省にいらっしゃるということからすれば、かなり色々と政治的なものを、不誠実さを感じるところであります。まあ、編集者が鈴木氏のコメントを誤って編集したのであれば、この雑誌の教育論は勉強不足の人々が書いているという判断でよいかと思われます。

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