こんな記事がありました。
ひと言で、つまらないと切って捨ててしまうのは簡単なのだけど、実際に、保護者と面談をしていると、少なからず出てくる話題なので、少し考えてみよう。
「就職に有利」という発想は正しい?
個人的には「どうせ働かざるを得ないんだから、大学くらい好きなことをやればいいじゃないか」という思いはある。
しかし、好きなことをやった結果、就職ができませんでしたということは、本人にとってはシャレにならない。雇う側にそんな余力があるのであれば、「就職に有利不利」という観点での大学選びなんて話題は出てこない。
上の記事でも指摘されているけど、実際に就職に有利なのは「手に職」、つまりは、技術を持って卒業する工学部系統の学部であるし、「即戦力」つまりは「企業が教育する必要のない人材」が必要とされているのかが分かる。
そう考えると、「高い金を払うんだから、就職に有利な進学をさせる」という発想も、まずまず意味のあることに見える。
入学してから大丈夫?
いわゆる「手に職」系統の学部や「就職に有利そうな」学部は、たとえば、こんな資料を見ると退学率が高い傾向にある。
入試制度と退学率、入学時の偏差値と退学率、学部別の退学理由など、様々な観点から分析がされているデリケートな問題であるので、不用意なことをいうのは避けるが、進路指導をしている実感としても「興味や関心が向いていない学部」や「学力が厳しい状況にある」ことが退学につながりやすいということは感じる。
「興味はないけど就職に有利そうな」学部を「自分の今の学力では入れる」ところという選び方がかなりリスキーだという感覚がある。
「国公立」なら安心か?
地方の国公立大学は、各地域の「ミニ東大」として、県庁や地銀、電力、鉄道、新聞、テレビなど地元の優良企業にも強い。こうした企業の待遇は東京の大企業と比較しても遜色がない。東京でリストラに怯えながらあくせく働くのではなく、地方で落ち着いた生活を送る。そういう選択肢も教えたい。
この「地方で落ち着いた生活を送る」という意見は、この前書いた記事でも少し紹介したが、西川純の『親なら知っておきたい 学歴の経済学』でも述べられている考え方であるので、今の社会状況に併せた合理的な考えに見える。
しかし、そのモデルは「ミニ東大」であって、競争の結果、「勝ち組」と「負け組」を分けるような方法論。初めから「負け組」に見える「大学に行かない」という選択肢はない(まあ、そういう発行元だから、そうなるのだろうけど)。
周知のとおり、国立大学の入学定員は「文系学部廃止」の流れや「ゼロ免課程の廃止」などから分かるように、隙あらば減らそうとしている。
究極的には、限りなくその枠は狭くなり続けるわけで、その枠をめぐって延々と競争が繰り返されるのだろうか。考えるだけでも精神が疲弊する。
地方を大切に。でも、大学である必要はあるの?
スパルタ式の私立校は、企業の採用担当者の評判が悪い。受け身が癖になり、教養や遊びの幅がない。
この指摘は、私立の教員としては耳が痛い。
結局、「大学に入れたい保護者」と「大学に入れることを売りにする学校」と「入学者を確保したい」という三者の利害が一致しているから、この構造をひっくり返すのはなかなか難しい。
地方志向で安定を得るという発想は、それなりに強みがある。でも、それが元々そこにいる人を追い出しての方法論に限界はないかと感じる。それは、グローバル化で自分のいる今の居場所を奪われることと同じではないか。