ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

考えることの質が上がらないことの苦悩

夏休みに入り、生徒の学習の記録のコピーの検討を始めました。一度は目を通してコメントをつけているものだけど、改めて時間をとって内容を確かめてみると、学習の質についてが結構気になる…というか、このままではいけないんだろうと思った。

一学期の指導の振り返りということで、すこし気づいたことを書いておこうと思う。

 「活動あって学びなし」になっていないか

色々な経緯がありまして、「アクティブラーニング型」(AL型)の授業を少しずつやっているのですが、このAL型授業をやると必ず問題になるのは「活動あって学びなし」という活動にばかり目が行って、その活動を通じてどのような力が身についたのかということがおざなりになるということがある。

この点についてはかなり気を配っていなければならない。「活動しているから生徒にとっていいものをしている」という感覚に陥ってしまうことや、逆にアレルギー反応を起こして「活動しなくても頭の中がアクティブならアクティブラーニングだ」などと言われてもかなり困る。

何がアクティブラーニングなのかということについては、今後、どこかでちゃんとまとめてみようと思うが、とりあえず、自分の授業の結果としての生徒の学習の生活物を見た時に、この「活動あって学びなし」に陥っていないかということが、まず、大きな心配になる。

活動はしたけど考えた?考えたけど質はどうなの?

その心配もあって、生徒たちの成果物を細かく見るようにはしていたのだけれども、やはり、時間を置いて時間をかけて確認してみると、本当に「考えて」いたのかということが怪しいものが多く見られる。

たとえば、次の本で、溝上慎一がEntwistleとWalker(2010)から「学習への深いアプローチと浅いアプローチの特徴」を紹介しているのを(P.45)もとに考えてみる。

 

ディープ・アクティブラーニング

ディープ・アクティブラーニング

 

 

「深いアプローチ」

  • これまで持っていた知識や経験に考えを関連付けること
  • パターンや重要な原理を探すこと
  • 根拠を持ち、それを結論に関連付けること
  • 論理や議論を注意深く、批判的に検討すること
  • 学びながら成長していることを自覚的に理解すること
  • コース内容に積極的に関心を持つこと

 

以上のような学習のあり方は「意味を求めての学習」である(P.45)と述べている。

一方で「浅いアプローチ」については、 

「浅いアプローチ」

  • コースと知識を関連づけないこと
  • 事実を棒暗記し、手続きをただ実行すること
  • 新しい考えが示されるときに意味を理解するのに困難を覚えること
  • コースか課題のいずれにも価値や意味をほとんど求めないこと
  • 目的や戦略を反映させずに勉強すること
  • 過度のプレッシャーを感じ、学習について心配すること

 という特徴が挙げられ、「個別の用語や事実だけに注目して、課題にしっかりコミットすることなく課題を仕上げようとする学習のこと」(P.45)と述べられている。

また、そのような「浅いアプローチ」の問題点は「「振り返る」「離れた問題に適用する」「仮説を立てる」「原理を関連付ける」といった動詞が示す、高次の認知機能を用いた活動が欠如している」としている(P.48)。

どうやったら考えるようになるのだろう?

上の指摘を踏まえて自分の授業を考えてみると、「浅いアプローチ」の特徴について、個人差はあるものの、散見されるような生徒の状態である。

もちろん、上の指摘については知っていたので、あらかじめこうならない様に手を打ったつもりであった。たとえば、国語界隈では有名な大村はまの実践をみると「学習の手引き」や「国語教室通信」の活用があるんだけど、そういう実践を真似してみたり「振り返る」ための工夫として大福帳を用いたりとしてみた。

だけれども、結果的に、生徒の成果物としては「浅いアプローチ」の特徴にあてはまるような結果になってしまったことは、なかなかどうして、後悔ばかり湧き上がってくる。

一面で、いろいろとお膳立てしすぎたことが、かえって自由に考えさせる余地をなくしてしまったということや、結局、他のクラスとの関係で、教材が生徒の実態よりも先に決まっているという自家撞着があることなどに問題がありそうな感じはある。

しかし、一方で感じることとして、責任転嫁にならないように十分に注意して考えなければならなことだけど、子どもたちのほうに「考えること」に対する欲求の弱さ……というか、考え続けることがしんどいと感じている生徒が少なからずいることは感じる。

生徒が悪いといいたいのではなく、「考えるために必要な体力」というものが、どうやって身につけたらいいのだろう、考えるための体力とは何なんだろうということが、疑問として浮かんでくる。

もし、習慣の力なのだとすれば、どうやってそういう習慣を身につけさせていくのか、知識や技能であるのであればどのようなトレーニングが必要なのだろうか、また、どのような面を見れば測定できるのか、さらには、アクティブラーニングとの関係はどうなるのか、など疑問ばかり浮かんでくる。

そんなわけで、わからないことだらけです

もう少し、時間をかけて、いろいろなものをみて考えてみたいと思いますが、やっぱり、考えるということに子どもたちを参加させることが一番重要だと思うし、それが一番、どういうことかよくわからないのです。

「考える」ということに上手く子どもをつなげていくために、どんなことが必要なんだろう?まだまだ、先が見えません。

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