ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

本当にこんなに世の中の学校は「アクティブ」なの?

今週の「教育新聞」で「次期学習指導要領のキーワードに関して…(中略)…3割強が特に重要なものとして「主体的・協働的な学び(アクティブラーニング、AL)」を選んだ」という記事を見つけた(『日本教育新聞』2016年7月18日 第6064号 一面)。

この数字自体はともかくとして、その記事の続きには、アンケートに回答した教育関連団体のコメントも載せられているのだが、その中で「すでに実践している」とする教育関連団体が多くあったという内容に引っかかりを覚えた。

次期学習指導要領の目玉である「アクティブ・ラーニング」であるけれども、この言葉が出てからというもの、教育関係の人々があれやこれやと慌てているのに対して、学校現場にいる人たちの方が「元々、アクティブ・ラーニングはやっている」と主張する様子をちらほらと見かけていたけど、これは本当に額面通りに受け取れる言葉なのだろうか?

実は色々な調査で「アクティブラーニングをやっている」と答えている

あまり話題になっていないので、知らない人も少なくないと思うが、学校で「アクティブ・ラーニング」をやっているかどうかについては、いくつかの調査がある。

例えば、文部科学省の「平成27年度公立小・中学校及び高等学校における教育課程の編成・実施状況調査」があるが、この中で、高校普通科において「アクティブ・ラーニングの視点からの授業改善に向けた取組」に取り組んでいる学校の割合は43.9%とされている(P.12)*1

つまり、半分近くの学校が、すでに「アクティブ・ラーニング」らしきことに取り組んでいると答えていることになる。この数字を高いと見るか低いと見るかは意見が分かれるところであるが、自分の見聞きする範囲の「普通の」授業の様子や教員同士の会話の様子などの感覚からすれば、随分、高い数字が出ているように感じる。

もっと、驚くべき数字が出ている調査もある。木村充, 山辺恵理子, 中原淳 (2015). 東京大学−日本教育研究イノベーションセンター共同調査研究「高等学校におけるアクティブラーニングの視点に立った参加型授業に関する実態調査: 第一次報告書.」では、「「教科として参加型学習に取り組んでいる教科がある」と回答した高校は75.5%であり、多くの学校でアクティブラーニングの視点に立った参加型授業への取り組みが広がっていることがうかがえる」としている(P.13)

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http://manabilab.jp/wp/wp-content/uploads/2015/12/98cd4ab816878aa5430c97cd2629e8292.pngより引用


ここまで来ると、どこにいっても何かしらのアクティブラーニングを、今の学校ではやっていると言ってしまえそうな勢いである。

額面通りに受け取れない学校の「やっている」 

しかし、自分たちが受けてきた高校の授業を振り返ってみてもそうだし、今の高校生をつかまえて話を聞いてみてもそうだろうけど、「アクティブ・ラーニングをしてますか?」とか「主体的・協働的に授業に参加する機会はありますか」と聞いてみても、素直に「はい」とは返ってきそうにない。たぶん、上記の教員側の回答よりも低い数字の回答になるのではないかという気はする。

それはともかくとしても、なぜ、教員や学校は「アクティブ・ラーニング」的なことを既にやっていると、こんなに多く回答しているのにも関わらず、次期指導要領でわざわざ「アクティブ・ラーニング」を言葉として明記することになったのか。

その本当のところは、末端のしがない一教員には預かり知らぬ所ではありますが、「やっている」という回答に対して気になる数字もある。

「高等学校におけるアクティブラーニングの視点に立った参加型授業に関する実態調査: 第一次報告書.」には、「学校全体として参加型学習に関する目標を掲げている」「参加型学習に関する具体的な計画を策定している」ということについても調査をしているが、それぞれの項目について「やっている」と回答した高校は、「それぞれ22.8%、13.4%に留ま」っていることが述べられており、そこから「学校全体として(筆者注:アクティブ・ラーニングを)推進する体制は整っておらず、それぞれの教科・教員が個別に取り組んでいる現状」であることが指摘されている(P.19)。

つまり「学校として目標を立てたり、実施のための計画があるわけではないけど、やる気のある先生が個人的に頑張ってやっている」というのが実情と言えそうだ(もちろん、国公私立の別は大きいだろうけど)。

これは、非常に危うい状況だ。

「学校として」どのように子どもを育てるのかというときに、「アクティブ・ラーニングが重要だ」という意識は、「アクティブ・ラーニングをやっている」という回答に対して高くない。

そうなると、子どもに対してどのように教えるのかということが、教員個人個人によって変わってしまいうる。もちろん、これは安定した教育を行うためにも望ましくない。教員個人の負担も大きくなることも問題だ。

「やっている」ことの質は…? 

やっていることの質を突き詰めていくことの困難さは、昨日の記事で少し書いた。

www.s-locarno.com


アクティブ・ラーニングを「やっている」というように答える人は多いが、その学びの効果がどの程度なのかということは、やはり問題にしていかなければならない。
次のような記事を見ると見た目は「アクティブ・ラーニング」をすることは、そう難しくないように思える。

京都市立堀川高等学校 - みんなの教育/河合塾


まあ、進学実績が「奇跡」と呼ばれるくらい出ている堀川高校のやっていることなので、この記事には見えてこないような工夫や指導者の技能があることなのでしょうが、この記事の「従来されてきたことに加えて特別な準備は必要ありません」という言葉を鵜呑みにして、生徒に教員の仕事を丸投げするような授業が行われることは大いに問題があるでしょう。

実際、「何をどうするべきか」については、明確なことは言えないところなのだけれども、そこの質を最低限保証しうるのが「学校としてどうするのかという目標」を学校が持つことだろう。

それこそ、耳にたこができるくらい言い続けている「活動あって学びなし」は絶対に避けたいところだ。現状の生徒に色々と気になることがあって、色々なことをやらせてみるということは悪くない。でも、何の工夫も根拠もなし、とりあえずやってみるというだけで、第二の堀川高校になるのは、まあ、無理でしょう。
過去の失敗事例の山がそれを教えてくれる。

じゃあ「アクティブ・ラーニング」で何をする? 

「アクティブ・ラーニング」でどのような能力を育てるのかということを考えたときに、次の二つの「アクティブラーニングの定義」の差は参考になる。

まず、2012年3月に中教審から出されたものだ。
予測困難な時代において生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」(審議まとめ)用語集より

教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学習者の能動的な学習への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学習者が能動的に学ぶことによって、後で学んだ情報を思い出しやすい、あるいは異なる文脈でもその情報を使いこなしやすいという理由から用いられる。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等を行うことでも取り入れられる。

次に、同じく2012年の今度は8月に出されたもの。

新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)」用語集より

教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。

よく似た二つの文言だが、大きな違いは「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成」ということを明記したことだ。

後から出た資料に、わざわざ付け加えられたこの文言の意味するところは重いように思う。ただ、活動させて生徒が生き生きとしているという程度の話ではない。

「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成」をやっていましたかという問いに「はい」と答える学校はどのくらいあるのだろうか。

やっぱり、いい加減なことはできないなぁ…。

*1:ただし、「学校全体として実施している場合を想定しており、アクティブ・ラーニングの視点を研修の中心として行った場合や、各教科の研修の中でアクティブ・ラーニングの視点について扱った場合等も含む。」とあるように、実際にすべての授業でALを実施しているという意味のデータではないので注意。

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