先日、こんな記事を見た。
現在は少子化の影響もあり高等学校卒業程度認定試験、5万人ほどになっています。しかし、高校中退者が置かれている状況はこの数十年、大きくは変わっていません。依然として大きなハンデを負い、生きていかざるを得ないのです。
高校退学者がどれだけ大きく苦労しているかというようなことが述べられている。世間一般の感覚からすれば、いわゆる「大検」(=現在の高等学校卒業程度認定試験)に合格すれば大学に行けるので、「個人差」程度の問題でいくらでも挽回できるという思いがあるかもしれない。
うっかりすると教員の方も「あいつは成績も悪いし態度も悪いからやめさせよう」なんて簡単にいう人がいるくらいだから、「学校」から追放することに対して大した問題意識がないという人がいるかもしれない。
しかし、今の日本で「レール」から外れることがそれほど甘い話ではないということを見直さなければいけない。
中退後のキャリアをどうやって把握する?
自分も決して「中退後の子どもキャリアがどうなるか」ということについて専門知はない。しかし、いくつか紹介できるデータがあるので紹介してみよう。
それらのデータから言えることは、「大人たちが簡単に退学をさせようとする気軽さに比べて、子どもが背負わなければならないリスクは大きい」ということだろう。
高校の中退者のキャリアがどのようになっているかについて、自分は詳しい資料を知らないのだけど(…これも問題だなぁ)、大学中退者のキャリアについての研究は、労働政策研究・研修機構の小杉礼子先生の調査結果が参考になる。
調査シリーズNo.138 「大学等中退者の就労と意識に関する研究」|労働政策研究・研修機構(JILPT)
この調査の中心は、大学中退者のキャリアがどのようになっているかということについてであるが、比較対象として「中卒・高校中退」の数字も載せられているので、そこから読み取れることを書いてみる。
もちろん、厳密な論考とするわけにはいかないし、中退理由なども含めて様々な要因が絡むことであるので、安易な結論を出すわけにはいかない。しかし、何もイメージを持てないで無関心でいるということから少しでも脱するために、想像できそうなことを想像してみようということである。
ちゃんと探せば、研究はあるとは思うが今回は問題提起ということでご勘弁ください。
退学者のキャリアは甘くない
上記の資料の「第1章中途退学後の職業キャリア」を見ると次のような数字が分かる。
学歴別現職業キャリアの分布
P.6の図表を見ると、中卒・高校中退者の正社員への就職は全体の4.4%に過ぎず、非正規雇用や無職の割合を合計すると、過半数を超えるという厳しい状況にある。
これは「中卒・高校中退」が一括りになっているため、おそらく、中退者の方の就業状況のほうがなお悪化しているのではないかと考えられる。
冒頭で紹介したプレジデントの記事の中でも
アルバイト先を探す場合も、求人広告に「高卒以上」と書いてあることがあったのです。何をするのにも、「高校中退」がハンデになると痛感しました。
とあるように、「中退」というルートが非常に厳しいということが推測される。
離学から就業までの期間
資料のP.18の図表を見ると、離学つまりは中退から「仕事に就くまで」の期間について読み取ることができる。これを見ると、高校中退者が仕事に就くまでの期間は、中退前にはほとんど就職することはできないで、「3年超」や「未就業・不明」が多い傾向が分かる。特に高校中退者の「3年超」の割合は「短大・専門学校」や「大学」の中退よりも数字的にはかなり大きく見える。推測に過ぎないがプレジデントの記事と併せて考えると「高卒かどうか」という点に比較的大きな壁があるような印象を受ける。
正社員就業までの期間
資料のP.19の図表から読み取れる「正社員になるまでにどのくらいかかるか」ということになると、さらに話がシビアになる。
中退から3年までに正社員になれる割合が1割をギリギリ超える程度であるのに対して、「未就業」が約12%と多く、さらには「正社員経験なし」の割合がほぼ5割とあるように、非常に就業の状況としては厳しいものがある。
与える傷は大きい…
大学中退者や短大・専門学校中退者についてもやはり中退については厳しい数字が並んでいるが、高校中退のダメージの大きさは、それらよりもさらに大きそうだということが言えそうだ。もちろん、単純な割合の比較なので、正確な実態なのかは言い切れない。しかし、そもそも「中退」という状況に追い込んでしまうことで、様々な悪影響を与えるのだということが見て取れる。
「高校」の教員という立場からどのようなことが考えられるだろうか。
第一には、自分も今、目の前にいる生徒に対する手当だろう。
体調不良や家庭の事情に踏み込むことは難しいのは間違いないが、学校でフォローできることをフォローしたほうが子どものキャリアに傷をつける可能性は下がるだろう。
しかし、厳しいことに高校には「原級留置」いわゆる「留年」という措置がある。そのため、出席日数や成績不良については庇いようがないことも少なくない。結果的に「留年」に該当してしまった生徒はその学校に残らないことが少なくないため、いくら年度内、その生徒が退学しないように庇っていても、学年末にどうにもできなくなるケースは少なからずあるだろう。
でも、体調不良などが関係しない「原級留置」に関して言えば、教員の責任が重いことをもう少し考えなければいけないのではないかと思うケースを何度か見聞きしている。上述したような「退学が子どもに与えるキャリアの傷の大きさ」に比して、教員の生徒に対するフォローが十分なのかということは、個人的には肯定しかねる。
高校の教員は「義務教育ではないから」ということを盾にとって生徒をいうこと聞かせたり、言うことを聞かない生徒を追放しようとするが、高校が実質的に義務教育に近いような進学率の状況や上述したような子どものキャリアに与える退学の影響の大きさを考えたときに、そのような「言い訳」が本気で認められるのかということについては考えてもらいたいところだ。
そもそも「留年」のような状況に追い込まれないためのフォローのしようがあるはずである。「いうことを聞かない生徒は留年させてもよい」というロジックが許されるかについて、教員は自分に対する評価は甘いだろう。
第二に、「高校中退」ではないが、「大学中退」についても高校教員は責任を考えるべきではないかと思う。
一説によると、いわゆる「仮面浪人」の人数は4万人近くいると言われ、大学中退者の割合も小杉先生の資料にあるように増加傾向にあり、大学進学後に大きな不幸を抱える生徒が少なくない。
この背景には様々な要因があることは小杉先生の資料で指摘されているが、高校の教員の進路指導のありかたについて思うところがないわけではない。
どうしても切羽詰まってくると「行きたい大学」ではなく「いける大学」を選んでしまう生徒は少なくない。教員の方が「合格実績」のために本人の志望をあまり考慮しないような進路指導を行うケースだってある。
そのような「入れれば良い」というような指導の結果、不幸になっている子どもがどれだけいるのだろうか。「卒業させてしまえば関係ない」と言って憚らない教員は少なからずいるが、本当に「卒業させてしまえば」教員は責任を免れるのだろうか。
自分は青臭いことをいうようだけど、そのような意見に対してはノーと言い続けたい。
だからこそ、溝上慎一先生のアクティブラーニング論が「社会へのトランジション」という観点を挙げて、中等教育、初等教育で何が必要かという議論を学びたいと思うし、「子どもを不幸にさせない」という願いから始まる『学び合い』に対して、実践こそしないにせよ理念に共感する部分がある。
感情的に書いてしまっているが、やはり高校の教員の判断が子どもの将来に与える影響の大きさを目の当たりにしていると、どうしたって現実から逃げ出すわけにはいかない。
少しでも、自分の軽はずみな判断が子どもに大きく影響を与えてしまうことを判断できる人が増えて欲しい。