GWの谷間。なにが1日、2日休めば9連休だ。学校に対して喧嘩売っている。そして、そんなことを煽るから生徒がこの二日間学校を休むのだ。2日間休めばなんて簡単に言うんじゃない!!社会的責任はどうなっている!!
と、まあ、余裕のなさをアピールしてみましたが、本日発行の教育新聞でケーススタディによる研修の紹介として次のような記事がありました。
生徒指導に追われ余裕のない学校
いきなりなかなかドキッとするような見出しです。
ケーススタディだけに……
今回の記事はあくまで「ケーススタディ」であり、実際の事例ではないフィクションである。しかし、以下の設定はなかなか身につまされるものがある。
- 生徒指導上、問題が多い学校であるので管理職と主幹教諭が生徒指導に追われている。
- そのため、教職員同士も学び合う雰囲気が薄く、若手も一斉指導の教え込みしかできない。
- 主幹教諭は「授業研究」の必要性を提案するが「それどころではない」という教員の認識
- 管理職も「先生方は忙しい」と強く言えない
と、こんな感じの設定。
ここまで見るだけで気が重くなるのはなんでだろう…。
まあ、ケーススタディになるように現場の「あるある」を抜粋しているような話なんだろうけど、どうしてこうもまあ……。
ちなみに、このケースに対する研修での結論としては
- 育てたい子ども像(ビジョン)が形成・共有されていない
- 管理職のリーダーシップの欠如
- 学年会や校内研修の形骸化
- リスク感度の低さ
ということが挙げられているが……こちらもまた、あたたたた……耳がもげる。
どうして、こう類型化されるような問題が、なかなかなくならないのだろうか?
余裕がないから手が回らないのか、手を回さないから余裕がなくなるのか
結局、忙しいとろくにならないという結論にいつだって落ち着くことになるんだけど、こうやって忙しくしてしまうのは何が原因なのだろう。
もちろん、色々な仕事を引き受けすぎだという事実はあるのだけど、それを差っ引いても学校や教員自身が自分で自分の仕事を増やしてしまっている点はあるように感じる。
その第一の原因が上の分析でも指摘されているけど、「ビジョンがない」ということは大きいと思う。
一連の教育改革の話が「未来の社会」を前提に話が進んでいるのに対して、現場の方は「明日の授業をどうするか」ということなどの近視的な話題に終始する。もちろん、忙しいからこそ「明日をどう乗り切るか」という話が重要になるのだけど、それでも場当たり的になあなあと問題を先送りしてきたことが現状の苦しさに繋がっていることも否定できない。
アクティブ・ラーニング一つとっても、どれだけの資料を責任ある人は読んでいるか。もう、今の時期になったら粗製濫造されてしまって、手に取られるのはテクニック本ばかりで原理原則はやっぱりおざなりにされる。
上の記事も半年で随分古くなりましたね…。
リスク管理…
コンプライアンスをカタカナ言葉と嘲笑するくらいには。