ゴールデンウィークが終わりますね。
次の休みはいつだろうかと考えだすと心が暗くなるので、できるだけ前を向いて日々を暮らしていきたいと思います。
さて、連休が終わるとこうやって余裕をもって本を読んだり考え事をしたりする時間を持つことが難しくなるのが悩ましいところです。どうしても仕事に追われると勉強するということの優先度が低くなりやすいですからね…。
でも、ちょっとした工夫で少しずつでも時間を確保していくことはできるんじゃないかという皮算用はできるのです。
自分のタスクをちゃんと整理する
自分の時間を増やそうとうい話なのに、最初に「時間を使う」話を出すのは申し訳ないのですが、それでも、時間を有効に使うために、最初に「自分が何をするべきか」をきちんと整理することが必要だと思うのです。
これは、以前に紹介した岩瀬先生の仕事術でも紹介されています。
自分の仕事がどこまでなのかということをはっきりと線引きする必要があるでしょう。
あまり細々と整理しすぎても思い通りには進まないので、大体、次のようなスパンで整理すればいいかと思います。
- その日の朝にその日の仕事を整理
- 週の終わりに次週の持ち時間の見通し
- 月に一度、長期的な計画の進捗の確認
基本方針は「何となく忙しい」という原因になっている事柄のリストアップと「やらなくてもいいこと」の削減です。
いくらでもサービス精神を出せば仕事は見つけることは出来るのですが、その仕事は本当にやらなければいけないことなのかということを吟味するべきだと思うのです。
クオリティを上げるための仕事をする時間も場合によっては必要です。でも、何でもかんでもクオリティを高くする必要はあるのだろうかと問うことは必要でしょう。
例えば、生徒に渡す連絡事項のプリントをやたらとイラストをいれてカラフルに作る人がいるけど、本当にそれは必要だろうか。連絡しただけで使い捨てるような資料に時間を使う意味があるのかという問いかけです。
いつまでたっても仕事はゼロにはなりません。だからこそ、自分はここまでやるんだという線引きをきちんとして、自分のやるべきことを終えたのであれば「さっさと帰る」という習慣をつけることは、自分のために時間を使うためには必要なことです。
サマータイムを導入する
端的に言えば早起きをしようということです。最近であれば、布団から出ることも辛くなくなりましたし、日の出も随分はやくなりました。
ですから、体力的に疲弊している帰宅後に無理して勉強するよりは、できるだけ早寝早起きをして、朝に時間を有効に使おうという発想です。
まあ、二時間も三時間も人よりも早起きをするのは大変ですから、30分から1時間くらいの無理のない範囲の早寝早起きを行って、自分の時間を持つといいのではないかと思うのです。
家にいると上手くいかないというのであれば、早めに出勤してもいいわけですからね。
朝の1時間で無理して勉強することもないでしょう。例えば、新聞を読み切るだとか自分の趣味をやるだとかでもよいのではないかと思うのです。
朝にブログを更新されている方もいますよね……自分はとてもできる気がしないけど(笑)個人的には、雑誌を読み進めたり英語の本を読んだりするための時間として使えるかなぁと思っています。
本を効率的に読む
とにかく本をたくさん読みたいと思う人は多いし、自分も職業柄、本は多く読まないといけない面はある。
そんなときに思い出したいのが次の話。
本を読むということが決して精読だけではないというのは以前にも紹介した以下の本の通り。
どうしても「精読」の呪縛に捕らわれてしまっている結果、あまり本を読みこなすスピードが上がらないことが多いのですが、結局、重要な本であれば自分で何度も読み直したり引用しなおしたりすることを考えると、とりあえず山積みになっている本については「一通り目を通しきる」「拾い読みをする」という態度で読みこなすことが重要だと思う。
早起きしてする読書とも相性がいいかもしれないですね。精読というよりは、出勤時間までという限られた時間でとりあえず一冊を目を通しきるという習慣が身につけば、だいぶ思考の幅が広がりそうな気がする。
日常的に整理整頓する
職員室の机が汚い人は以下の記事をご覧ください。
机の上が汚い、ワークスペースがないというだけで隙間時間での勉強効率が下がります。
仕事を早くこなすためには、十分な作業スペースが必要です。
休み明けこそ気合を入れて
この先、夏休みまでまとまった休みはもう来ません。
いつまでもゴールデンウィークな気分でやっていると、毎日が仕事に追われることになります。
世の中が比較的、スローペースなうちに、スタートダッシュキャンペーンを張って、自分にとって都合の良い生活を作りましょう(笑)
何のための時間術なのかと言ったら、自分の時間を手に入れるためです。他人に指示されたことや最低限の仕事は自分のための時間とは言えないですから。