ついに出ましたね。センター試験の改革案。
まだ詳しく見られていないけど、感想を少し。
記述が中途半端ではないか…?
実際の記述式モデルはこのリンクから見られます。
数学はまだは専門外だから脇に置くとしても、国語については「中途半端だなぁ…」という印象がぬぐえない。
書かせる量という面でいえば、すでに国立大学の二次試験の問題がかなり高度に練られている。理系が受けないという問題であれば、二次試験の科目で国語を課せばいいだけの話だからね。
問題の内容も実際の社会の文脈を考えての出題ということも分かるのだけど、イメージが先走って「選抜」のテストとしてよいのかはよくわからない。
定期考査などでこういう文脈をおいて、形成的な評価の一部として見るならわかるんだけど、この問題で選抜しようというのはどうなんだろう?
都内の塾講師は国語の問題について、「拍子抜けするほど易しい。内容もレベルも(小学生が受ける)公立中高一貫校の適性検査問題に近い」と驚く。
さらに「内容の理解より、解答の仕方が得点力を決める。パターンをつかめば塾としては指導が楽だ」と指摘。「(塾が多い)都会の子供に有利」とも予想する。
こういう「パターン化」でどうにかしようという発想自体が、教育に対して無責任でイラっとするんだけど、それは脇においておくとしても「都会に有利」という指摘や「パターン化できる」という指摘は真摯に受け止めるべきだろう。
結局、設計の中途半端さである。
英語を放り投げた
何より酷いと思ったのが、英語の試験を外部試験に丸投げしたことだ。
英語では、英検やTOEICなどの民間試験のうち、指導要領に対応し、実施場所の確保、採点の質といった条件を満たす試験を大学入試センターが認定。高3の4~12月に2回まで受けることができる。そのうえで、大学入試センターが作る従来の英語の「読む・聞く」の問題については、①20年度から廃止して民間試験に全面移行する②制度変更の影響に配慮し、23年度まで残す――の2案を提示。6月末までに一つに絞る。
結果はCEFR(セファール,欧州言語共通参照枠)という国際基準に対応させて6段階などの段階別で示し、各大学が2次試験の出願資格などに使うことを想定する。
表現は偉そうだけど、言っていることは「採点できないから丸投げする」といっているだけである。
これによっていくら学習指導要領で何を掲げようと「英語は外部試験で点数を取れればいい」ということになる。もはや何のための学校の授業かわからないし、教員免許なのかもわからない。よほど対策塾に通ったほうが効率的でしょう。検定教科書もやめてTOEIC公式問題集にすれば費用も安上がりそうですね。
まあ、針小棒大なケチのつけかたはともかくとして、外部試験の受験費用はどうするのか。そして、TOEICなどの受験は意外と会場が限られていることや受験料が非常に高額であることをどう考えるのか。
もっと厳しく批判されていいことだと思うのだけど……。
これからどうなるのか?
一方でマークシート方式をやめざるを得ない意味も、こうやって問題を実社会に寄せようとする意味も分かる。
結局、高校の授業が依然として何年も前の授業ノートを板書に書いて、同じ冗談を毎年繰り返すような一斉授業をやりつづけているという傾向が一番ひどいからだ。
曲がりなりにも小学校や中学校では「言語活動」ということは言われるようになってきたけど、高校ではほとんど不毛の状態だ。
公然と「入試で受かんなきゃダメだろ」という人も少なからずいる。
そんな高校が変わるためには、入試は変わらなければいけないというロジックもわかる。それだけに、中途半端で無責任なこの形はどうなんだろう?