考査がまもなくやってくるけど直前までぎっちりと授業はやります。
四月から始めた質問づくりを継続してやっています。そろそろ効果が出てくる……とも言えず。なかなか難しいところです。
たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」
- 作者: ダンロスステイン,ルースサンタナ,Dan Rothstein,Luz Santana,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2015/09/04
- メディア: 単行本
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繰り返し繰り返しやらないといけないなぁという感じます。
間が空くとやっぱり難しい
継続して……とは言っているものの現代文という科目の性質上、質問づくりを短いスパンで継続してやることは、ちょっと難しい。
そのため、生徒にとってはいちいち手順を確認しなおしたり思考回路を切り替えたりと負担が重い。
現状だと、質問づくり→開いた質問と閉じた質問の分類→書き換え→質問を選ぶ→発表&共有の過程まですべてやると1コマがまるまる時間が掛かってしまう。
そのため、授業として簡単に実践することは難しいなぁと思っているため、どうしても導入やまとめとしてやることになる。
そうなると生徒の中で「質問づくり」という活動にあまり慣れてこない。
心情的にはもう少し短いスパンで繰り返したほうが効果的なんだろうなぁと感じる。
「質問の焦点」の設定は難しい
質問づくりの一つ目のヤマが生徒に対して「質問づくり」を提示すること。
資料を提示してその資料について質問づくり……というパターンもあるけど、現在のところ、自分は授業の導入とまとめとしてやっているので「短文」での提示となっている。
生徒が質問を作るための「ひっかかり」となるようなフレーズや資料を提示することになるのですが、この「質問の焦点」を作ることが難しい。
生徒を誘導するために質問づくりを設定するのではないという原則を忘れがちになる…やっぱり、どうしてもテーマがある現代文だと「こうやって読んで欲しい」という方向性を示したくなる。でも、それは「質問づくり」という手法をやらせる意味がなくなってしまう。
現代文は課題文があるとどーしても「こうやって読んで欲しい」というというものが出てきてしまうからこのあたりのバランスは難しい。
考える思考回路がついてくるか
この「質問づくり」はとにかく生徒が頭を使う。
特に少しの言葉の表現でぜんぜん異なる側面を検討することができるからこそ、言葉選びというものに敏感になるし、今まで気づかなかったことにはっと気づく瞬間が生まれるようだ。
そして、作った質問自体が自分の探究的な学習をするための足掛かりになり、困ったときに学習を進めるための標になってくれるはずなのだ……けど、まあ、質問づくりとその他の活動がまだまだ中々連動してくれはしないけど…。
言葉や表現を吟味し、気づかなかったことに気づくという過程はとても「国語」らしい。