「山月記」のまとめとして生徒に「教室で小説を協働して読む意義はある?」と質問してみたのです。
個人情報もあるのであまり正確には書けませんが、少しだけどんな答えをもらったか紹介します。
自分では気づかないことを気づける
生徒の意見で一番多かったものは「自分では気づけないことを気づけるからよい」という意見や「自分だけでは暴走してしまうけど相談すれば正しい方向に戻ってこられる」という意見だ。
他人と自分の意見を交流することで、自分の考え方が妥当かどうかをちゃんと検証できるという。
今回の「山月記」の単元の目標の一つとしては、「自分の読みの仮説を持つ」→「協働して仮説を検証する」ということを繰り返し、自分の確かな読みを作り上げていくということがあった。その意味では、自分たちの中で「協働して検証」することで、読みに自信を持てるという反応はよいことではないかと思う。
自分の頭を整理できる
二番目に多かった意見は「他人に説明するために頭の中を整理できる」という意見だ。
自分の中で分かっていることは不確定で不定形で不安定なものだ。だから、どうしても「分かったつもり」になってしまったり、分かっているのに分からないものとしてしか評価されなかったりしてしまう。
だからこそ、自分の中で曖昧な感覚として思っていることを「他人の頭を通して」*1明確にしていくことに大きなメリットがあるという。
生徒にこの本を教えたわけではないのに、この本で考えられているようなことまで考えている生徒がいるのが面白いところ。
モチベーションの維持に
そして「一緒に読まなければいけないということが、毎回、準備して読んでくることに繋がっている」という意見も多く見られる。
自分一人では「山月記」を読むのは、表現が難しいし別に読みたいと思うような小説でもないから途中で投げ出してしまうけれども、協働して読むとなれば一生懸命準備して読んでこないといけないから、モチベーション維持につながっているという。
まあ、何だか連帯責任を負わせているような感じで嫌なものだけど、参加するために読むという気持ちは持てるらしい。うーん…それが良いことなのかは手放しには自分には喜べないが、勉強しなければいけないけど前向きになれないときにはいいのか…?
意味がないという意見もありますよ
前向きな意見ばかりではないですよ。意味がないという意見も言っています。
例えば「いつも顔を合わせているから相手が何をいうか予想がつくから意味がない」ということや「相手の準備が悪くて自分にとっては無駄が多い」だとか「一人で読んだほうが早い」だとか、どれも真剣に考えているからこそのコメントである。
まあ、「協働して読んだところで間違った解釈をしてたら意味がない」というコメントもあったけど……自分としては正解を教えてもなぁと自分の授業観に関わるところなので難しいところ。
グループワークが苦手であるからとか話さなくても分かるとかそういう意見もあるのだけど……。
自分の思い通りにならないことに折り合いをつけていくことや、自分を理解させていくということは必要である。最近、とみに思うが、教える側が肚を決めないと苦手な子に対して手立てを尽くして協働に向かわせるだけの手間を取れないよなぁ…と思う。
自分は待つだけ
こうした「協働して読む」という作業であるが、自分は「肚を決めて」何もしないで生徒の変化を待つことを期待することにしている。
授業の50分をできるだけ手放して生徒に渡すこと。
思い通りにならないことの方が多い。
我慢だ。
それでも授業前に手をかけ、丁寧に勉強を支えていかなければいけないのだ。
*1:生徒のコメントより引用