こんな記事を見た。
オランダのイエナプランという言葉は教員であれば多くの人が聞いたことがあるでしょうし、教員でない人も時々、新聞や雑誌などで目にしたことがあるかもしれない。
日本では日本イエナプラン協会が色々な機会を設けて、イエナプランを広めようと尽力している。
子どもの自律性を伸ばしていくために、あらゆる学習環境を整える。その環境の中には教員すら含まれており、教員のサポートも充実している。
日本の教育環境のブラックさが話題になっていることからすれば、夢のような環境に見える(笑)
でも、このような環境を見たときに、「日本では無理」だとか「日本の現実に合っていない」だとか、あろうことか「受験の役に立たない」という本末転倒なことまで言われる。
果たして、そういって諦めてしまうことは正しいのだろうか。
学校はブラックな環境なのは否定できない
最近、各所で学校がブラックな労働環境であると指摘されるようになっている。
傍目八目という言葉もあるので学校の外側からの指摘はそれなりに耳を傾ける価値があるだろうし、的を射ている部分もあるだろう。
とはいえ、
教員の労働環境を整備するのは重要だが、学校の本質を根っこに持たない議論は子どもたちを幸せにしない。
というような意見は、正論のように見えて何も言っていないし、それぞれの教員で教育観が大きく違っていることを考えれば、学校の中で教員同士の対立を煽るような意見にしかならない。公立と私立では大きく事情が異なるしね。
教育現場は教員の善意で成り立っている部分はある。それをやりがいだと思い込んでしまって、本当はやらなくてもいいことを増やしているようなことも否定できないけど、それでも子どもを相手にしている以上は子どもの安全安心のためには、自分よりも優先しなければいけない事態は生じうる。
それをブラックと呼ぶのであれば、ブラックとして働くしかないだろう。でも、ブラックであることになれてしまってもいけない。余裕のなさは生徒に伝染するし、大きな事故につながる。
でも、簡単に「部活動」にしかできないことがあるなんて言われるのも癪である。
部活をやり過ぎてはいけないが、全廃すべきとは思わない。部活には、生徒が自主性を発揮できるという良さがある。部活を通して、楽しむための方法を学ぶという、新しいコンセプトを提案したい。
授業でやればいいじゃん。授業でやっていないことが問題ではないのか。
余裕のない学校を変えられないか
そんな奴隷の鎖自慢のような状況であるので、イエナプランのような話を提案すると「そんなものは無理」だという言葉が二言目に出てきやすい。
まあ、教員に年間十数万も研究費を与えたり人員を増やしたりということは難しいだろうけど、それでも授業や子どもたちの学習環境をイエナプランの理念に近づけることは出来るかもしれない。
しかし、それでも「そんなものは無理」という拒絶から入る教員は少なからずいる。「アクティブラーニング」の導入に際して理念や目的の議論をするのではなく、方法論の議論でひたすら否定しようとする人が多くいたでしょう?
本当に無理なのかな?普通の学校ではやれないのか。金のある私立だけの専売特許なのだろうか。
理想をおいかけないでどうする
自分の結論は決まっている。
理想を追いかけないでどうするのだ。だから、今までもこういう記事を書いてきた。
理想を追いかけるために苦労を追うことができるのである。
ブラックであるのは否定できない。でも、それは自分で決めたこと。押しつけられたわけではない。押しつけられたものは丁重にお断りします、自分は(笑)
だから、これからも自分がよいと思ったことをちゃんと真摯に向き合いたいのだ。
そんなわけで
理想を目指してブログ一周年、連続更新達成です。