ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

遠巻きに騒ぎ立てるのではなくて

Crowds

色々と思うところはありますが。

遠巻きに騒ぎ立てるのではなくて、自分で現場に足を運び、何が起こっているか見てもらいたいのです。

知識は常に更新されなければ

何のために勉強するのかと問われるのであれば、知識は更新されないと古くなるという当たり前の回答以外思いつかない。

常に新しい知識を手に入れなければ、自分自身の活動が陳腐なものにしかならない。

惰性で、知っていることを繰り返すだけならば、それほどラクなことはない。

体験しなければ分からない

理屈を弄することは難しいことではない。理屈と膏薬はどこへでもつく。

常に完璧に批判の余地のないものだけに囲まれて生きているなら、大所高所から批評家になっていればよいだろう。

でも、現実に、そんな都合の良いものはない。だから、本来は、自分で体験する、自分で苦闘する経験をなくして、実践家とは呼び難い。

実践を目指す人間であるならば、常に挑戦できることが前提である。挑戦しない人間が、他者に実践を強要するほど滑稽なことはないだろう。

狭い部屋から出ていくべきなのだ

本から得られる知識で必要十分に実践をすることは出来る。しかし、それは十分な訓練と勉強を積み重ねてきたからこそできることである。

訓練もなければ勉強もない、そんな雑な日常の積み重ねで、正しく自分のことを理解して、常によりよい挑戦なんてできない。

だから、いい加減、自分の足で現場に向かって、自分の目で確かめなければいけない。有象無象の大衆の中から一歩を踏み出して、自分のできないことをできないと目指し、もっと勉強に対して真摯にならなければいけないのだ。

遠巻きに、自分がやらないことについてあたかもしたり顔で批評することに対して、慎ましく謙虚に、改めるべきなのだろう。

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