「でもしか先生」という言葉をご存じだろうか。
まあ、あまりいい意味では使われない。
大村はまは「教師」であることに圧倒的な責任感と自負がある。そんな勢いに押されてしまう自分は、やっぱりでもしか教員なんだろうなぁ…と思う。
夏休みを不毛に過ごす
夏休みが始まって一週間が経ちましたが……振り返ってみるとイマイチ不毛に過ごしてきたと思う。授業があれば、もう少し引き締まった生活をしているのだろうけど、微妙に集中力がないせいか、ほとんど不毛な仕事をしている*1。
まあ、体調が悪い部分があるのは事実だけど、これほど生活にやる気がないのも珍しい*2。
自分で自分のことをきちんと伸ばすような殊勝さがあればよいのでしょうけど…イマイチである。
このやる気のなさは一体何なのだろう?まあ、補習が自分にとってあまり気乗り仕事であるので、そこがネックになっているような気はする。
まあ、それでもやる気の問題であるような気はするが…。
仕事は探すものと言われましても…
そんなにやる気がないなら、人様の役に立つ仕事を探せと言われそうである。しかし、そんな気も起らないのです。
世間一般の社会人であれば、自分で暇があるなら仕事を探すということが正しい態度なのだろうけど……そういう社会人になれない(苦笑)
あーはいはい、こういわれても反論できない性根をしています、現在。
まあ、だから結果的に、自分はこうやって世の中とズレて生きていく教員という仕事をしているのだろうなぁと思う。というか、むしろ、教員しかなれない視野の狭さとやる気のなさである。
自分のやれることがないとないとわかっているか
自分は社会人としてまともに働くようなスキルは持ち合わせていません。そもそも生徒に対して「社会では協働が必要だ!」などと言って、アクティブラーニングをさせるなど支離滅裂なことを言っているわけですが、自分自身はそういう経験をしてきていません。結果的にはリクルートスーツを見るとバルサンを焚かなければいけないという使命感に燃えるくらいには非社会深度を深めてきたのです。
結果的に、多少なりには指先が掛かった教員という仕事にしがみつくことになって今、ここにいるのです。
自分は教員にしか、それどころかまともな公立の採用試験すら気乗りしないで試験を受けられないくらいにはギリギリの「しか教員」である。
だからこそ、いま、ここの教員という仕事に必死にしがみついているのです。
だから、こうして……どうもやる気が出ないのは、困ったものです。