個人的に思っていることを書く。最近、やる気が著しく落ちている……というか、天気が悪いせいか気持ち悪くてしかたなく、全く勉強ができていない。
だから、陰鬱な気持ちをもって、普段、自分が思っていても口に出さないことをぶちまけて少しでもストレスを発散してやろうという企画である。
とりあえず…って?
今は激動の時代ですから、何が正しい授業なのかわかりません。少なくとも一斉授業にしがみついていることを正当化することができるほどの理由もない*1ので、何か新しいことをやろうという流れはあります。
だからこそ、世の中にはアクティブラーニング本があふれていて、現場の教員としては色々なことを試せる状況にあります。
自分自身も「新しいこと」を散々、やっているので色々なことを「試している」ということは間違いない。
とくに「質問づくり」については日本で体系的に実践発表されているものがないだけに、完全に見切り発進で、実験的な部分が多い。
そんな「新しい物好き」の自分が言うのもなんだけど、いや、そんなんだからあえていうけど、「試しにやってみよう」なんて判断で授業をやったらいけないんじゃないかね?
もちろん、アクティブラーニングのように今までの授業のあり方とは全く異なることに挑戦するのだから、どこかで「試しにやってみる」という判断は必要だ。実際、理解してからやるだとか、自分が納得したらやるなんて言って、やらないことを正当化していることのほうが多いのだから、「試しにやってみる」のほうがよほど重要かもしれない。
いつまでとりあえず?
それでも意固地になって文句を言うけど、簡単に「とりあえずやってみよう」っていう人が、前向きに見えて無責任であることに結構うんざりしている。
我々が相手にしている生徒は決してモルモットではない。常に試行錯誤があるからベストの教育ができるとは思わないし、どこかで「挑戦してみる」という決断は必要だ。しかし、それでも簡単に「とりあえず」なんて生徒にやらせてはいかんよ。
いや、厳密に言えば「とりあえず」やってみることは必要だ。しかし、いつまでも「とりあえず」を繰り返してはいけない。「とりあえず」を一体、いつになったら自分のものにする気なのだろう?
期限を決めない「とりあえず」は、試行錯誤なんかではなく、ただの思い付きでしかない。
思い付きに生徒を振り回してはいけないのではないか?
一緒にされたくない
自分のエゴと偏屈さを明確に表明する。
そんな「とりあえず」と自分がやりたいこと、挑戦しようとしていることを一緒にされたくはない。
「何だか楽しいことやっているね」だとか「一緒にやらせて」だとか簡単に言われますが、それはありがたいことでもあるけど、一番、共有したいはずの「子どものためにベストを尽くす」ということが共有されていない。いや、「子どものために」を言わない先生はいないだろうけど、その「子どものために」が他人にフリーライドするくらいの熱意なんだから、やっぱり共感できないのです。
自分はここにしがみつくしかないから、必死なんです。
ただ、楽しいから、自分の趣味で、新しいことを思い付きでやっているのではないという自負を失いたくない。
*1:もちろん、それは一斉授業を否定するって話ではないのだけど、ヒステリックになる方の多いのは不思議なことだ。