司書教諭講習のレポートが続々と返ってきています。
自分のレポートが人に読まれて添削されるなんて割と久々。こうして普段からブログを垂れ流してはいるけど、時間を書けて書いたものを読まれて添削されるのはやっぱり緊張感が違う。
生徒の書いたものを大所高所から文句つけている自分のことを反省です。
レポートを書くことには慣れている
久々にまとまった文章……いや、むしろ文字数を厳しく制限された文章を書いていて感じることは、自分はそれほど文章を書くこと自体には苦は感じていないということだ。
今回の司書教諭講習のレポートも、なんだかんだで二日くらいでまとめて書きましたが手書きということに対してストレスがかかったことを除けば、文章作成自体はいろんな勉強ができたなぁという感覚で楽しかったです。
たぶん、これは大学、大学院と何度も文章を書いてきた経験値が効いている。
- 作者: 斉藤孝,西岡達裕
- 出版社/メーカー: 日本エディタースクール出版部
- 発売日: 2005/05/01
- メディア: 単行本
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別の斉藤さんです。あの人ではありません。
この本で一番勉強したなぁと思い出す。
でも、日常的に書いていないと書く力はやっぱり落ちていく。特にこうしてちゃんと評価される文章はなかなか書かないから、たまにしっかり書こうとするとやっぱり苦戦するし、評価されることはたいへんな気持ちになります。
評価されることは
やっぱり評価されるのは嫌だ(笑)。
でも、フィードバックがあるからこそ、ちゃんとやらないといけないという気持ちにもなる。
ちゃんと評価されるのであれば、時間を書けて書きたいなぁと思うし、色々と本気になって調べものをする。でも、評価されるのであれば、評価される前に評価する人と相談して、どんなことを求めているのかを分かって書きたい。そりゃあ、いい評価欲しいし(笑)。
書いている途中にカンファランスが必要だということは、ライティング・ワークショップをやっているとよく分かることだけど、自分がレポートを書く立場になると、切実に感じます。やっぱり自分が経験することが大切ですね。
書いてみると分かる
今回のレポートで講評がからかったのが「学校図書館とメディアの構成」のレポートだ。結局、自分が「収集と廃棄」ということをやったことがなく、また、自分にとって納得のできる資料を集めることができなかったことが原因だ。つまり、書くことが、各材料が圧倒的に不足していたということだし、自分が書くべきことではない事柄をテーマに選んでしまったということだ。
いやぁ……ちょっと、仕事が立て込んでいて真夜中に書いていたから、自分としては全然気づかなかったのだけど、時間をおいて読み直すと確かにダメなんだよ。自分が書くべきことではなかったし、題材選びも失敗である。
こういうことはやっぱり書いている過程で相談してクリアしておきたいことだなぁ…。
こうやって、やっぱり自分が学ぶ立場に追いつめられると分かることはある。ちゃんと評価される場に出ていって、その感覚を授業にちゃんと生かそう。