都留文科大学の野中潤先生のご講演を以前お聞きしたときに、「正しい意見が消滅する授業」というものが紹介されていた。
正しい意見が消滅する授業―札幌聖心女子学院の「夏のセミナー」 ( 高校 ) - BUNGAKU@モダン日本 - Yahoo!ブログ
個を伸ばし、集団を伸ばす国語の授業―聖光学院方式の問題演習(アクティブラーニングによる大学入試対策)
詳しくは上の先生のブログの記事やリンク先のPDFをご覧いただければと思うけど、かいつまんで説明すると、問題を個人で解いたのちにグループで相談して最終的な答えを決めるという流れの授業です。
面白そう!と思って早速やる機会を伺っていたのですが、本日、その機会を得て実践することができました。
さて、グループで話し合った結果、うちの生徒たちは見事に正解することができるのでしょうか?
話合いには慣れていたはずなのに
生徒たちも野中潤先生の「正しい意見が消滅する授業」のことを知っていたので、今回、自分がこうやって同じ授業をしたときに「絶対に引っかかってやるもんか!」とかなり警戒して授業に臨んでいました。
授業をしている自分としても「さすがに一年半も一緒に話合いを授業の中心に据えて授業をやってきたんだし、大丈夫だろう」と思っていたのですが……
はい、ごめんなさい。
見事に「追試」として「正しい意見が消滅する」ことを再現してしまいました(笑)。
生徒もかなり注意深くお互いの意見を聞こうとして取り組んでいたのですが、それでもちょっとした話合いのミスで「正しい意見が消滅」していたのです。
話し合えなかった瞬間とは?
生徒たちに感想を聞くと、正解だったものを間違いに書き換えてしまった瞬間は以下のような場合が多いのだという。
- 自分の思っていることが納得してもらえず、上手い言い方もないから間違いだと思って話すのをやめてしまった。
- 成績がいい人の意見を聞いたら、筋も通っていたから反論できないなぁと思ってしまった。
- あまりに自信満々に話しているのを聞いて、自分が間違っているんじゃないかと思った。
- 他の人が自分の意見を受け入れてくれたから、それ以上考えるのをやめてしまった。
- 全然、相手の言っていることが分からないから、自分の意見から変えなかった。
…と、生徒の感想をまとめるこんな感じになる。
これまで、一年半をかけてじっくりと話合いの作法を教えつつ、我慢強く「よい」話合いとは何かを考えさせ、実践させてきたつもりだっただけに、こういう感想が出てくるとなかなか堪えるなあ。
生徒は話し合えていないのだろうか
こうして「正しい意見が消滅」する瞬間を目の当たりにすると、話合うことの難しさを思わずにはいられない。
おそらく、自分の生徒であるから贔屓目に見てしまっているのだろうけど、それでも子どもたちは、普段はそれなりに高い水準で話合いができている。
にも関わらず、こうやって「失敗」してしまうのはなぜか。
詳しい分析は一回やったくらいでは分からないけれども、やっぱり生徒には生徒の人間関係があって、その中で本当に「平等」かつ「公正」に話し合うことは難しいのだろう。
「民主主義の土台」としての学校。
お互いを知り尽くした人間関係の中でも、本当にお互いを信頼して尊重しあうこと、偏見なく正しい意見を見抜くことの難しさ。
実際に意見を話合って選ぶという経験を積み重ねなければ、やはりできるようにはならないのだろう。話し合ったところでできるようになるのかな?
でも、大人がそれを投げだしてはいけない。だから、必ずできるはずだと、生徒たちに投げかけて、そして経験する時間を保障しなければいけないと思うのです。もちろん、それが授業でこそ。
だから、とりあえず………
…………
明日は選挙です。