ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

【書評】優先順位という言葉を間違えていない?

How to deal with a Monday ToDo list

本日は臨時休校で生徒は休みです。生徒は。

教員はむしろ生徒が来たら安全確保をしなければいけないので、いつもよりも早く出勤して緊張していなければいけないという。

まあ、基本的に時間を持て余しているので、急ぎの仕事もないので読書に充ててみました。

仕事のスピードと質が同時に上がる33の習慣

仕事のスピードと質が同時に上がる33の習慣

 

個人的には今年度のテーマの一つに「生産性を上げる」ということがあります。

www.s-locarno.com

すっかり忘れていましたが、実習生指導やら保護者面談やらで毎日、よい時間になるまで帰れないでいたので、ここで少し自分の生活を見直そうと思うのです。

ずばり、教員の生産性を上げるためには

本書に書かれている細かいテクニックについては、こういっては悪いけど「ビジネス向け」であって、学校という現場には向いていないことも多い。

「会議に紙を使わない」とか「メールアドレスは使い分ける」とか「仕事は2割断る」とか……まあ、本当はメスを入れなければいけない職員室のアホらしい非効率さそのものなんだけど、自分一人で明日からという訳にはいかないので。

しかし、本書の中で学校現場においても間違いなく役に立つ、正鵠を得ている指摘が本書の冒頭に書かれている「取捨選択の意識」についてである。

仕事が速くデキる人の頭の中には、(中略)「やるべきこと」と「しなくてよいこと」を自然と分ける習慣が身についているのです。(P.22)

 とか

気持ちが先走っているとき、私は一度立ち止まって、やろうとしている仕事に対して、「なぜ、その仕事をするのか?」と自問します。(中略)「なんとなく」という言葉は、まるでブラックホールのように、すべてを受け入れる引力を出します。だから私は、「なんとなく」が自分の答えに出てきたら、仕事を受けないようにしているのです。(中略)自分の仕事の中から、この「なんとなく」をすべて排除することが、仕事の質とスピードを上げる第一歩なのです。(PP.25-26)

とか。

「生産性」ということを一切考えない学校文化には耳の痛い言葉ではないでしょうか。

「なんとなく」という言葉は「生徒のために」と読み替えていいのではないでしょうか。「生徒のために〇〇をする」「生徒のためだから引き受ける」「生徒のためだししかたない」……確かに生徒のためにという言葉を教員の矜持として持たなければいけないことではあるけれども、自分自身が限られた労働力しか持たない以上は無条件に「生徒のため」という言葉で「あれもこれも」引き受けてはいけないのだ。

優先度という言葉の意味

仕事に優先度をつけるということは、学生のアルバイトだって知っている言葉である。そうして多くの人は自分なりにそれなりに考えて仕事に「優先度」をつけて仕事をしているはずである。しかし、多くの場合は「優先度」をつけているはずなのに仕事がインフレして結局残業しても終わらないという状況に追い込まれがちである。

これは「優先度」という言葉の使い方を間違っているのが原因だ。

「何しよう?」と考えるのは仕事を増やす思考であり、「何をしないか?」と考えるのは仕事を減らす思考です。(P.34)

朝、出勤して前向きな気持ちであるときほど「さあ、今日は何をしよう」と思うのは、ある意味自然なことだ。例えば、学校であれば「今日は調子がいいから保護者向けの資料を作ろう」とか「苦手な子向けの補習の課題を作ろう」とか「読んでなかった論文を読もう」とか、ついつい「あれもこれも」と予定を詰め込みがちだ。

しかし、学校という場所は朝の段階で余裕があり、気力に満ち溢れていても、何があるか分からない、イレギュラーの多い職場だ。例えば、保護者から連絡が入ったら中々それを後回しとはいかないし、嫌な話だけど体育で生徒がけがしたとなれば全ての仕事を放り投げて病院に付き添うのも教員だ。

だから、それこそ朝の段階の調子だけで「あれをやろう」「これもやろう」と仕事を増やしてしまうと、結局、思い通りに行かないことの方が多くなるのかもしれない。

これも「生徒のために」と考えるがゆえに、何でもかんでも予定に入れてしまう教員の良くないところですね。

だからあえて考えなければいけない。優先度とは「これは今日は絶対に手を付けない」と決めること。優先度とは「これだけ終わったら定時で家に帰る」と決めること。優先度とは「やらなくてもいいことを自信をもってやらない」ということなのだ

生み出した「余裕」を使って

本書の重要な提案のもう一本が「大きな仕事から手を付ける」ということだ。

つまり、数か月や年単位を使って取り組むべき仕事の優先度を上げて、脊髄反射的についつい「何となく」やってしまいがちな仕事の優先度はできるだけ下げるという考え方だ。

教員にとっての「大きな仕事」ってなんだろう?これは人によって答えは違うかな?人によっては研究授業や研究論文を大切にしようと思って、自分の時間を十分に使う人もいるだろうし、目の前の子どもたちのことが大好きで学級の仕事を細々と色々と取り組む人もいるだろう。

でも、このような「手間のかかる大きな仕事」をやるには、現状の職員室はやっぱりかなり忙しい。だからこそ、優先度を、「やらないこと」を決めて、そうして生み出した余裕を使って「大きな仕事」に取り組まなければいけないのだろう。

自分のいる職員室を見回してもらいたい。仕事ができる人にどんどん仕事が押しつけられ、一日中座る暇がない人がいる一方で、何をやっているんだか分からないで文句ばかりいう暇そうな人がいないだろうか。こういういびつな構造になるのは仕事ができる人が仕事を安易に引き受けてしまっているからではないだろうか。仕事ができる人が「自分がやらなくていい仕事」をきちんと断りだすことで、仕事をしていない人ができる、やるべき仕事が生まれてくるのではないか。そして、そうして生み出した仕事ができる人の余裕は、より大きな仕事をするために、職員室が持つべき余力なのではないか。

最後に、この本の著者の実践でぜひ見習いたいと思ったことを紹介して終わりにしよう。

私は朝礼で周りの人の様子を確認することによって仕事のタイミングや起きるかもしれないトラブルを未然にふせぐなど、仕事の段取りをしているのです。

さて、朝の職員会議で自分はどれだけ他の人の顔を見て過ごしているだろう?

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