好事魔多しと申しますか…。調子よくアイデアが出ていて順調だと思っていたら…。
まあ、定期的なやらかしではありますが…
授業の調子と言いますか、「この単元ならいけるんじゃね?」と思っているときに限って、自分の些細なミスで台無しになるものです。
何が大失敗かといえば、自分がしゃべりすぎたということに尽きる。
普段散々に
と世の中に喧嘩を売るようなことを言っていたのですが、まあ…自分もやらかしてしまうのです。
今回、何をやらかしたのかといえば、その素材について自分が思うところがあまりに多くあったために、自分が思うことや言いたいことをとにかくしゃべりすぎた。
タイミングを間違えずに、用意周到にして話すのであれば、たまにはそれなりに効果的なのだけど、今回は深く考えずに、口の方が滑った。自分自身が話したいと思ったことを話したので、完全に戦略がない。
自分の気持ちの方が先走った。
何が問題なのか
自分がしゃしゃりでて話しすぎると、それまでに行っていた生徒の話し合いを無効化してしまう。さすがに自分がそれなりに問題意識をもって考えていることは、生徒が数十分で話したことよりは、形として整っていることを言えてしまう。そんな考えを生徒に不用意にぶつけたら、教員の権威と相まって、生徒にはその意見が唯一の成果のように受け取られてしまうのである。
生徒にそのように受け取られてしまったらもう取り返しがつかない。最後に出てくる振り返りには、自分の話した話を上っ面だけなぞった言葉を書いて、生徒自身がその時間に何をやったのか全く読み取れない振り返りのオンパレードである。
こうなってしまうと、せっかく授業で一生懸命話したというのに、全く自分の納得と理解に落とし込めていない。
まあ、生徒の意見を全面的に否定したことに近いよね。
無力感を育てる教室
しかも皮肉なことに今日のテーマは「高校生の自分がなぜ社会のために行動できないのか」ということ。
その生徒の感想は
高校生は自分がいくら主張したってその意見が握りつぶされることくらい知っているから、何か行動しようなんて思わないし、そのように黙っていることの方が「よい子」と呼ばれるのも知っている。
なかなかキツイ皮肉である。