故あってしばらく「深い学び」について考えることになりそうです。
ちょうど、職場でも議論しなければいけないところであったので、無理矢理に自分の予定に優先度を上げるにはよい機会かなぁと思って、ブログでも適当に書き散らそうと思います。整理して書くなら論文にする(笑)。
おことわり、というか前提として
厳密にいうと「主体的・対話的で深い学び」というのが今回の学習指導要領の考え方なので、本来は「深い学び」だけを取り上げて議論することは、指導要領の解釈としては微妙な感じはする。
特に現場がやりがちな「教員が生徒を深い読みに導くことで深い学びを実現できる」のような言い回しでチョーク&トークもオッケーだとか教員の過干渉を是認するようなことは絶対に避けたいところ。こういう言い回しが出てくる原因に「主体的・対話的で深い学び」であるはずのものを「深い学び」だけに切り分けてしまうから起こるのではないかと思う。
あくまでしばらくこのブログで「深い学び」と取り出して考えるのは、指導要領とは切り離して純粋に色々な側面を探るために、自分が適当に思考を垂れ流して書いているものです。指導要領絡みで考える時には「主体的・対話的で深い学び」と意図的に書くようにして区別します。
しばらく読み直そうと思うのが…
「深い学び」を考えるにあたって、おそらく網羅的かつ信用度が高いのがこの本だと思う。
最近では各方面で必ず目にする京都大学の先生方が書いている本です。様々な先行研究を引きながら「ディープラーニング」*1とは何か、「アクティブラーニングとは何か」ということを議論しています。実践の紹介やノウハウ本ではないので、なかなか現場にいると読みづらいし簡単には授業に反映しにくい。だけど、それだけに丁寧に読んでいき、授業の原理原則を検討するにはよい本であると思います。
一斉授業を乗り越える
今まで自分の態度をあまり明確にしてこないでなんとなくアクティブラーニング的なことを言ってきましたが、やはりここで明確にしておくべきかと思うので、はっきりとスタンスを表明しておこうかと思います。
自分の授業に対する考え方としては、「一斉授業で生徒の思考を活性化することができ、資質・能力を高めることができたとしても、一斉授業を乗り越えていかなければいけない」というものです。
極端なことを言えば、一斉授業で教えたほうが結果的に三年後などにより「教科的」に高度なことができるような生徒を育てられる可能性があったとしても、稚拙な状態から生徒たち自身が一つ一つ学びを積み重ねていかなければいけないと思うのです。
理由は色々ありますが、小難しいことは言わないで、自分の結論を言うならば「そのほうが楽しい」からに尽きます。丁寧に言えば、「楽しいという肯定感は必ず一人一人の生徒の生涯の学びを支えてくれるはずだ」ということです。「楽しい」ことで「学ぶこと」に対して安心感と肯定感を保障できるはずであるし、そうして動機づけされた「学びへの意欲」があれば、学校を超えた状況に対峙するときであっても自分で学べるような大人になってくれるはずだという願いがあるのです。
だから、「一斉授業はよい面もある」なんていう意見に対して、全面的に反論します。「一斉授業は全員にとって楽しくならない」。それだけで、自分としては一斉授業をやらない理由としては十分です。
楽しくていいんだよ。そんな当たり前なことがどれだけ教科の授業で言えているか。
そして、その「楽しさ」を保障するために、「深い学び」とは何かを明らかにしつつ、楽しさと「深さ」が両立されなければ、一斉授業を乗り越えることができないと思うのです。
究極に楽しいと思うのはやっぱり自分としてはプロジェクトベース学習だ。
でも、これは現状の教育現場では絵に描いた餅にしかならない。
ちゃんと「教科」が楽しいことが「深い学び」になることを説明できることが、今、自分が考えなければいけないことなんだなぁと、ふと、思った。
*1:人工知能のディープラーニングとは無縁なのですが、どうも名前が被ったのがよくないらしく、AIの話と勘違いされる節が…