本日から授業開き。
三学期は「こころ」を自分たちで読み込んでいってほしいと思っているのです。
そのための授業開きでした。
参考文献として使っているもの
今回の「こころ」の授業構想にあたって、以下の本を参考にしています。
前にも少し触れましたが、この本の渡邉先生の実践に近いことをやりたいなあと思っているのだけど、ここに至るまでの子どもたちの経験や今の授業者としての自分の力量を考えたときに、同じことは出来ない。だからこそ、丁寧にやれることをやろうと思い、また、生徒に対して「丸投げ」ではなく、きちんと何かを伝えていくことを考えたい。
そう考えたときに、子どもたちへの「介入」(intervension)についても、様々に考えられているリテラチャーサークルの手法を使ってみたいと思ったのです。
- 作者: ジェニ・ポラックデイ,ジャネットマクレラン,ヴァレリー・B.ブラウン,ディキシー・リーシュピーゲル,Jeni Pollack Day,Valerie B. Brown,Janet McLellan,Dixie Lee Spiegel,山元隆春
- 出版社/メーカー: 溪水社
- 発売日: 2013/11
- メディア: 単行本
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流れとしては、授業前に本を読み、その後、本について語り合い、少しずつ考え方を深めていくというものです。
訳者解説で山元隆春先生が述べているようにリテラチャー・サークルは「リーディング・ワークショップと深い関連を持つもの」(P.170)であり、これまで、曲がりなりにもワークショップ型の学び方で過ごしてきた子どもたちにとって、違和感なく取り入れることができるだろうと考えるのです。今回はリーディング・ワークショップも並行して行うので、相乗効果というところも期待したいと思っているのです。
リテラチャー・サークルの良さ
山元先生の訳書で紹介されているリテラチャー・サークルの流れは以下の通りである(P.27)。
そのリテラチャー・サークルの時間の前の一週間、子どもたちは同じ本のいくつかの章を読み、読書ノートに話合いの準備のための記入をする。
教師の方向づけ、アナウンスメント、ミニ・レッスン:5-10分
子どもたちに、これまでに学んできた様々な方法を思い出させ、話し合いを活性化するためにミニ・レッスンをおこなう。
小グループでの話し合い:15-20分
各々のグループでは、あらかじめ各自の読書ノートに書いた内容を使いながら、読んだことについて話し合う。子どもたちは次の話し合いのためにどの章を読むか取り決め、ゆたかな考えを得るためにどのような話題―あるいは問い―を使うのかということも取り決める。
読書ノートへの記入:5-10分
子どもたちは話し合いの後の読書ノート記入を行う。その際には、その本についての自分自身のさまざまな考えがどのように変わったか、あるいは変わらなかったかということを書くことになる。
全体での報告会:15-20分
クラス全体で、自分たちのサークルで続けていることや、うまくいったこと、うまくいかなかったこととその理由を話し合う。
丁寧に「本」の内容に基づいて自分の考えを形成し、また、その考えを他人と交流していく中で、少しずつ自力で深めていくという過程が整理された授業の流れであるように思う。
このような授業を行う根本的な価値観として以下のようなことばが述べられている。
読んだあとに質問をしあう大人などほとんどいません。かわりに、彼らは読んだことについて話し合うのです。(P.3)
短いことばであるが、「読解指導」として黒板での前の教員とフロアの生徒の問答を中心としている、「普通の」国語の授業とは正反対の価値観が表れているものだと思う。
大人たちにとって「話し合う」ということが当たり前(というにはやや高度かもしれないが)であることから、子どもたちにも同じように、本を読んで「話し合いたい」「語り合いたい」という気持ちを引き出し、大切にする手法として、リテラチャー・サークルがある。
学校の中でしか役に立たないような学び方に対して、最近、自分自身が疑問がある……というか、そういう学び方に対して自分が生徒だった時から疑問があったし、つまらなさを感じていたのである。だからこそ、大人にとっての普通を、大人になってもつながるような学び方をしてほしいと思うのである。
ちょうど、今月の『国語教育研究』(No.549)で寺井正憲先生が新学習指導要領の考え方について解説している文章の中で、「言語生活」という概念に注意を喚起し、「言語学習の継続性や日常性を生み出」すことの重要などを指摘している(P.30)が、まさに「教室」でとどまらない、リテラチャー・サークルという学び方は、今後も注目されていく方法なのではないかと思う。
もちろん、簡単に「よい形」のリテラチャー・サークルが成立するのではない。
上で紹介された本の中では一章を丸々掛けて、五段階の手順を踏んで指導していき、ようやく成立することが述べられている。初めは教員がモデルを示すことから始まり、徐々に自分たちが自力で独立して学んでいく過程を指導するのである。これは「責任の移行モデル」と重なる部分が非常に多い。
「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる
- 作者: ダグラスフィッシャー,ナンシーフレイ,Douglas B. Fisher,Nancy E. Frey,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2017/11/17
- メディア: 単行本
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丸投げでは当然、よい学びにもならない。
しかも、このように苦労して過程を指導していっても、本書の中では「多くの話し合いで(中略)すぐれた反応が見られるのはほんの一瞬だけ」(P.77)と厳しく生徒の話し合いの現実を捉えている。
しかし、それでも多くの問題を乗り越えようとして学ぼうとする子どもたちの力を信じる方法に力強さを感じるのです。
子どもたちにとって実行し、振り返り、もう一度トライし、間違え、そうしたことから学ぶ、ということに時間を使うことは、よい時間の使い方です。もしリテラチャー・サークルを上手に営もうとするなら、あなた自身にもあなたの子どもたちにも、時間という贈り物をすることです。(P.50)
この本のこの一節はとても好きな言葉だ。
リテラチャー・サークルという形式をするかどうか別としても、生徒の学ぶ力を信じて、試行錯誤を潤沢に行う時間を手渡すことを、贈り物と呼ぶ。教える側にも、というのがいいなあと思う。
よい時間を創ろう
リテラチャー・サークルという形をやりたいのではない。
子どもたちと知的に考える時間を創りたいのです。
「こころ」を深く理解することではなく、理解することの多様性やそれをお互いに受け取り合う知的な時間を創りたいのです。
その上で、きちんと、子どもたちが、自分で学んだのだという自信を深めて欲しい。