いよいよ明日から新学期。
愚痴っぽく過ごしていた陰鬱な日々も明日でお別れです。
桜の花はさっぱり散ってしまっているし、明日は天気が荒れそうだし、何だか出鼻をくじかれたような感じですが、それでもいいのです。
学級開きに向けてエンジンがかかる
ここまでテンションが上がらないせいか、愚痴っぽく過ごしていたせいか、全く仕事の生産性がなかったのだけど、さすがに前日ともなると持ち直したというか、強制的にやり直しているというか、追い込まれたというか、様々な資料の完成に力を入れる。
関係各所に打ち合わせやすり合わせが本日は無事につつがなく終わったこともあって、精神的にも安心。
いよいよ明日からだと考えると、資料作りについてもホームルームのイメージに繋げて考えられるのでだいぶ具体化してくる。
作った資料を共有するべきかどうかというところについては少し思うところはあるが、基本的には共有していきたい。でも、手間と時間はタダではないし、資料の意味をちゃんと尋ねてくれないような人には二度と渡さない。タダ乗りはされて曲解されるのも不愉快なのです。
新学期の始まりは
新学期の迎えるにあたって、自分がやることは毎年同じである。
担任として生徒に対して好きにやれとコメントするだけである。好きにやれと言った以上は、その好きのあり方を本当に我慢強く見守ってやらなければいけないと思っています。
口先だけで「好きにやれ」といって、次から次へと禁則事項を出すような卑怯なやり口はしない。
いくらでも至らない点が見えると口出ししたくなるけどね。
三月にも行ってきた、苫野先生と多賀先生の話にも出てきたような「腹を決めた」覚悟をもって接していきたい。
多賀…覚悟に決まっている。やるしかない、腹を決めてやる。目の前の子どもの姿をみているだけでは信頼なんてできない。将来を信じる。
苫野…なぜ信頼して任せるのが重要か。覚悟を持つ根拠が必要。 モンテッソーリの言葉にあるが、言われたことしかできない子どもにしてしまうことを問わなければいけない。子ども自由を実質化するためには、任せなければいけない。手綱のゆるめ方。失敗させてよい。そして支えることが重要である。
【多賀一郎×苫野一徳】信頼を実現する学校に必要なものは何か、その② - ならずものになろう
失敗させることを恐れないで、とにかく我慢強く寄り添いながら一年を過ごしていこう。