ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

【スポンサーリンク】

スタディサプリと学校と授業

Studying...

あすこま先生のブログでこんな記事を見た。

askoma.info

実は勤務校は全校に一斉導入を今年度からしている。そこで割とタイムリーな話題なので、思うことを便乗して書いてみようと思う。

過去にスタディサプリに言及した記事

このブログでも何度かスタディサプリには言及している。

www.s-locarno.com

www.s-locarno.com

www.s-locarno.com

スタディサプリに限らず、動画授業についての言及は以下のような記事。

www.s-locarno.com

まあ、上の記事は勤務校がスタディサプリを導入したこと起こりうることへの危惧を遠回しに書いた内容なのです。

一貫して自分が言っていることとしては、ただ「知識」を注入する程度の授業でしかないのであれば、動画授業の方が「分かりやすさ」では優位性があるだろうし、生徒のニーズにも合うだろうということです。授業の質については利用者目線からすれば、二の次であり、自分にとっての分かりやすさで授業そのものを評価する傾向があるのは仕方のないところだ。たぶん、教員が動画の質的な問題について論っても、「自分のペースで出来る」ことの良さを評価する生徒には響かないだろうと思う。生徒にとって良い授業を「分かりやすさ」という軸でしか授業を考えられない教員には、深刻な問題提起になる。逆に分かりやすさを無視している教員も生徒にソッポを向かれる可能性は高い。

まあ、40人なら40人という環境でやれることを掘り下げようという、割と真っ当な方向に工夫をしていけるなら、活路はありそうな気はするので、それほどすぐに学校がいらなくなるとは思わないけど。

動画授業と学校の関係について考えるのであれば、次の本は必読である。

ブレンディッド・ラーニングの衝撃 「個別カリキュラム×生徒主導×達成度基準」を実現したアメリカの教育革命

ブレンディッド・ラーニングの衝撃 「個別カリキュラム×生徒主導×達成度基準」を実現したアメリカの教育革命

  • 作者: マイケル・B・ホーン,ヘザー・ステイカー,小松健司
  • 出版社/メーカー: 教育開発研究所
  • 発売日: 2017/04/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

この本の次の一節がスタディサプリの可能性について示唆的である。

オンライン学習の成長はよいことでしょうか。それとも、今までのような伝統的なスタイルの授業を守るべきでしょうか。

ある特定のグループにとって、答えは明らかです。学校が提供する以上のものを必要とする生徒にとっては、当然ながら何もないよりはましなわけですから、オンライン学習はありがたいものです。(中略)オンライン学習は発展であろうが基本であろうが、高校では勉強できない無数の生徒に大学入試に必要なコースを提供します。(PP.11-12)

実際に生徒は利用できるのか

よいところばかりに見える動画授業だけど、一斉導入してみて感じるけど、これで簡単に成績が上がるほど甘くはないですね。

継続的に使うことは難しい

動画授業の最大の難点は、自分で自分を動画に向かわせないと学習が継続できないということだ。

そもそもやる気があって継続的に勉強する習慣のある生徒であれば、動画である必要もなくて、参考書だろうと何だろうと勝手に勉強する訳です。それだけの忍耐力と基礎学力もある。

で、本来、動画授業の恩恵を一番受けることができるような学力層の場合、やはり継続的に続けること自体が難しい。

もし、効果的に生徒に使用させたいのであれば、アドバイザーとして大人がフォロー入れなければいけないだろう。

その意味では、スタディサプリは学校向けの場合、誰がどの程度の時間活用しているのかが可視化される*1

でも、声掛けくらいでは使用率は改善されないので、本気で使うなら、それこそ授業時間で使わせて、慣れさせないと無理でしょうね。それは本末転倒な気もしますが。

意外とICT環境は整っていない

生徒の自主性に任せるには、意外と家庭のICT環境が乏しいことに気づかされる。家に自分が使えるパソコンがなかったり、そもそもネット環境がない(=スマホで済ませている)家庭も少なからずある。

だから、実は簡単に誰でも動画授業というのだけど、インフラという面ではまだ決して足りてはいない。そもそも、学校が全館Wi-Fi飛ばしていないのに、生徒に使わせるのは学校側のフリーライドのような気がしてならないが。

使い勝手が悪くなると途端に使用率は下がるのです。

授業の進度との兼ね合い

結局、学校の授業とは……ということに立ち返ることになるのだけど、本人がやる気を出して動画授業をやろうとしても、授業の進度や学校の宿題に時間を取られて、動画を見ている暇がないなんてことはよくある話である。

別に教員の方に活用させようという意識がないと、動画をみる時間を捻出してあげようと、宿題などを配慮することはないだろうし、配慮するならそれは本末転倒にも思えるわけですし……。まあ、難しいところです。

学校のデザインが変わるかどうか

スタディサプリの良し悪しは脇に置くとしても、動画授業が安価にアクセスできるようになる未来は、そう遠くはないだろうと思う。某B社もかなり力を入れて動画授業を増やしていますし、まあ、動画授業が学校に入ってくるのは、避けられない未来だろう。

そうなったときに、学校がどのように変化していくことになるのだろうか。

「学校の授業が相対化される」ということに、教員の側の意識がついていけるだろうか。根本的に破壊的イノベーションである動画授業によって、何が破壊されるのかということをどれほど正確に教員は理解できるのだろうか。

まあ、上で書いた通り、動画を見せておけばいいというものではないのだけど、それを口実にただの板書を写させるだけのような一斉授業を続けて良いという口実にはなるまい。

現役N高生に動画授業について聞いてみたら、こんな感想が返ってきた。

板書書いて説明して、程度の授業だったら生である必要はないと思いますね。授業のためにわざわざ多人数揃えるのだったら、動画授業で済むことは先にやって、グループで話し合って深める、みたいなことをやるほうが私はいいと思います。(中略)「説明」中心の授業に一から十まで生でやってもらうことは私は求めていません。

さすがに基礎能力は高いので、普遍性があるとは思わないけど、まあ、これくらいに思う高校生はいるよねって知ったうえで、授業を模索したいところですよね。

*1:ただし、挙動が怪しい部分はある。アプリでダウンロードした動画の視聴時間が上手く反映されていなかったり…

Copyright © 2017 ならずものになろう All rights reserved.