ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

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あぁ…読むことのハードル

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「「である」ことと「する」こと」に入ったが大苦戦中である。というか、苦戦以前に「読まない」のである。長い文章で必ず毎回愚痴っている気がするのだが…。

www.s-locarno.com

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とりあえず、長くて語彙が難しいので読まない。投げ出す、適当に最初と最後だけ読んでお茶を濁す……控えめに言って想定内の最悪をやられたわけです。

毎度、毎度、なかなか文章を読んでもらうのが苦しいのです。

読む必然性がないのです

色々と導入で準備しているのですが、やっぱり教科書の文章を読む段階となると自分で選んだものではないので、結局、実際に読む段階になると読む理由が生徒にはないようなぁと思うのである。

長い文章を読むことができないわけではない。リーディング・ワークショップやってきたからね。

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色々な準備をして導入していくのだけど、その手段が悪かったことも大きいのだろうけど、教員が読ませたいものを読ませなければならないという理由で読ませているので、生徒が我慢して自分にとってつまらない文章を読まなければいけない理由はない。

以前にも引用したが、PCL便りで紹介されている「一人ひとりをいかす教え方」と比べると、自分が授業でやっていることは全く質的に別のことであるよなぁと思う。

・教師が生徒たちの違いやニーズ(主にはレディネス、興味関心、学習履歴に表れます)を踏まえたうえで指導計画を立てるので、生徒たちは積極的に授業に取り組みます。(中略)

何を(学習内容)、どう学ぶのか(学習方法)、そして学んだことをどのように証明するのか(=成果物)の3つで、生徒たちに選択肢が提供される教え方です。

・生徒たちが熱中して取り組め、意味を感じられ、そして興味が湧くものに対しては、よく学べるということを(そして、生徒たちすべてが同じものに熱中し、意味を感じ、興味が湧くわけではないことを)ベースにした教え方です。

http://projectbetterschool.blogspot.jp/2017/07/blog-post_23.htmlより。2018年6月9日 19時確認 下線強調は引用者)

 

「何を」、「どう学ぶのか」を特に教える側が奪い去っているのが、致命的だよなぁ……。たぶん、同じ文章を読ませなければならないとしても、もっとちゃんと考えれば方法はあるんじゃないか。

例えば、今になって思えば、自分の発想は、どちらかと言えば、素材の内容にまつわることから「学習内容」を考えてしまっているが、もっと思い切って「スキル」や「読解方略」を「学習内容」と位置付けて、生徒がそれぞれにどの内容を学びたいのかという方法もあるようなぁ…。たぶん、自分が本文の内容に引きずられていて、生徒にも読ませたいと思っているから発想が固いんだろうな…。

まあ、難しいのが「どう学ぶのか」ということと「何を学ぶ」ということ(もっと言うなら「何ができるのか」ということ)が、微妙に重なっているため、今、やっていることが一体何かということが迷子になりやすい。

読まないとダメですからね…

前回の高校3年の授業では、横の担当と組んでやっていたのと、時間数が限られていたということがあったので、普通の講義型の授業をしました。そのあとで、具体的な事例を収集させたり検討させたりして、小論文の練習をしたりしましたが、ある意味、その方が生徒の負荷は低いし、すっきりと展開できているなぁと思う節もある。

しかし、でも、よくよく思い出すと、板書しながらチョーク&トークの授業での生徒の様子は、よく勉強していたし、理解もよくしていたなぁと感じるのだけど、教科書を何度も何度も読み直すという作業をしていなかったと思う。

極端なことを言えば、笑えない笑い話だけど、教科書を忘れていて、手元に持っていない生徒も、本文の内容がよく分かって、授業の内容が理解できていた。つまり、教科書読まなくてよかったのである。

……それって、もはや「国語」の授業なのか?

他の担当が作る考査を解けるようにしなければならなかったということを言い訳にするなら、その目的は達成できたのだけど……まったく、能力として何かをつけたとは思わない。そもそも生徒が本文をろくに読んでいないのだから。

客観めいたことをいうなら、模試の成績もよく伸びたし、文章もそれなりに書けるようになったし、全く無駄だったとは言わないけど……それでいいのかねと引っかかる。

そして、今回はその引っかかている気持ちがあるからこそ、「読む」ということにとにかく授業の時間を当てているのである。

白状すれば、あまりに生徒が「読む」ことの進捗がよくないので、授業ですでに二時間ひたすら読むことに時間を当てている。何となく読みながして、お茶を濁すような記述しかしていないことを見逃したらいけないんだと感じての判断だ。正直、授業時間数は厳しい。でも、「読む」ということにちゃんと向い合せたいと自分が思っているのだから、宿題なんかに投げずに、時間をかけてちゃんと授業で読んでもらわないとダメだよね。

最後までこだわりたいことはある

何度か書いているけど、ここで生徒たちに考えて欲しいことは「なぜ、評論を読むのか」ということである。

もちろん、これは大人であっても答えにくいし、国語の教員だって簡単には答えられない。常に仮説でしかない意見である。

だからこそ、ちゃんと生徒が生徒なりに考えた意見と、自分も意見を交換してみたいのである。

そのための準備として、まず、きちんと読むということから始めないとなぁ…。

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