沖縄は好きですか?自分は沖縄がとても好きです。いわゆる「沖縄病」というやつかもしれない。沖縄にのめり込んでしまっていることを「沖縄病」と呼ぶらしいので、まさにそれに自分はそれに該当する。
まあ…忙しくて全然沖縄へ行けないのだけど、それでも沖縄へ誘われる気持ちは芭蕉の漂泊の思いと大差ないといっても過言ではない*1。
だから、この本を手に取ったのもそんな「沖縄病」の症状の現れである。
ぱらぱらと立ち読みするといい感じの沖縄の写真がたくさん入っていてとても楽しげであった。
沖縄旅行の気分だけでも味わおうと思って手に取ったのだが……
面倒くさい本
この本のタイトルである「はじめての」という言葉は以下の理由によるそうだ。
私自身がはじめて沖縄と出会って、沖縄病になって、自分勝手なイメージを沖縄に対して当てはめてしまっていたときのことが、本書の思考の出発点となっているのである。(P.9)
実は著者の段階で気づくべきなのですが、この本の著者は沖縄についての研究がご専門の岸政彦先生である。
つまり、この本で語られる「沖縄」の姿とは、決してガイドブックのようなものではなく、我々が「沖縄」についてどのように語るのか/語られるのかについて、子細に分析と思索を深めた結果なのである。
この本を読んでも沖縄についてたくさんの事実を勉強できるわけでもないし、それに詳しくなるわけでもない。これは沖縄についての解説本ではない。中立に、客観的にかかれている本ではないのだ。(P.9)
沖縄という場所が、決して平板に語ることのできない場である(厳密に言えば、どこであっても、決して客観的に・平板に語ることなんてできないのだが)。しかし、沖縄病に浮かされる人々は、いや、沖縄病に罹患していない真面目な言説でさえも、「自分にとっての沖縄」というものを沖縄に押し付けてしまっているのではないかという、「沖縄について考えることを考える」本なのである。
そういう問題意識の根幹にあるものは「本土/沖縄」という境界線である。
軽々とその境界線を越えて、語ることを戒め、様々な沖縄をめぐる問題の語られ方を慎重に分析していくのである。
だからこの本は、とても「めんどくさい」本になると思う。そんなこと考えなくてもいいのに、ということを考えて、それについて書く、という本になる。(P.16)
ここでいう「めんどくさい」という感覚こそ、自分たちが無意識に何かを沖縄に対して押しつけていることの裏返しなのかもしれない。
浮かれた気持ちは冷めるけど
その「めんどくさい」考察によって見えてくるものに、何度も頭を殴られたような気持になる。すっかり、沖縄病で浮かれて手に取ったこの本だけど、一冊、読み終えるころには、沖縄についてもう少し誠実に考えなければいけないという気持ちになっている。
もう一度、自分も沖縄へ行ってみよう。
そして、今度はもう少しだけ、その場で起きていることを見つめてみよう。
そんな気持ちになるのである。
*1:過言である