ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

一学期の授業が終わりまして

summer sun shining through . . .

今日で一学期の授業日が終了でした。色々と考えることがある一学期で、割と気持ちが萎えて終わりそうですが、とりあえず、夏の間に自分の勉強の立て直しをしたいところですね。

最後の授業に相互批評

時間がちょっとだけ余っているということもあって、大学入試の現代文に出題される作文について取り組んでもらい、作品について相互批評してもらうことにした。

ただ、普段から割と顔を見ながらお互いに交換しながらのピア・レビューは授業で行う機会が多いので、今回は少しだけ趣向を変えて行ってみた。

  1. 生徒がそれぞれ作品を書く。
  2. 教員が集めて、生徒名を消して作品をランダムに並べて、作品を冊子にする。
  3. 作品冊子を配って、全員の作品を読ませる。
  4. その上で、A.自分の次の番号の作品に対する批評。B.自分の好きな作品に対する批評。の二種類を書いてもらう。

手間のかかる準備*1だったが、まあ、その甲斐もあってなかなか面白い結果が得られました。

批評の質は低くない

生徒同士の批評の目はどれくらい当てになるのか、という問題がある。

もちろん、批評をやらせてみないと批評の腕前は上がっていかないだろうし、見る目がないのに批評することに意味があるのかという疑問は出てくるだろうし……まあ、鶏と卵である。

しかし、こういう形でやらせてみると分かるのだけど、生徒の相互批評の力……つまり、読んだ作品に対するアドバイスの内容は、個人差はあるものの、それなりに的確な内容が書けている

今回の批評については、自分も生徒にコメントをつけて返却しているのだが、その自分がつけた批評の内容と、生徒が書いた批評の内容は重なるところが多い*2

このあたりの話は、実は以下の本にも出てくる。

ライティングの高大接続?高校・大学で「書くこと」を教える人たちへ

ライティングの高大接続?高校・大学で「書くこと」を教える人たちへ

 

色々な側面から、比較的簡易な分析ではあるものの、「書くこと」に対する苦手意識のある学生がどのくらい教員の評価と比較して違いがあるのかということを比べたものである。

その結論をざっくりと紹介するならば、「総合的・集団的な評価*3は教員並みに評価することが出来ている」(P.151)というものだ。

なるほど、実際、やらせてみるとこの本で言っていることが分かる。この本は高校の「読むこと」が中心になっているので、生徒の批評の目が養われている(PP.157-158)ということを背景に挙げているが、そのあたりはよく分からない。

周辺的な話

批評をつけるコメントを「教員が指定したもの」と「自分が好きなもの」の二種類を書かせたわけだけど、ざっと見た限りではその二つのコメントの質に差はないように見える。

たまたまかもしれないが、教員が「よい作品」と感じている作品には生徒同士の相互批評で比較的多くのコメントを集める傾向にあるように感じる。ま…逆に「?」と思う作品が大人気だったりもするので……わからないものです。

なによりも読むのが楽しそうなので何より。

*1:こういう作業はICTを使えば物凄く短縮できる。手書きだから面倒なのである。

*2:もちろん、自分の方が色々と細かいし、量は多い。しかし、生徒の書いている内容と授業者である自分が書いた内容に重複が見られるのが面白いのである。

*3:つまり、内容を分析して細かく行う助言や、一人一人の助言の内容の量などは「教員並み」とは言い切れない。

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