色々と授業を考えていますが、明日の授業は一つ三年間の決算かもしれないなぁ。
自分にとっての当たり前である、「自分のことは自分で決める」ということが、授業になると難しい。それを何とかできないものかなぁと思ったりするのである。
以下、雑談。最近、気にかかっていること。
とりあえず、『日本語学』を読めばいいか
Twitterで難波先生が荒ぶるので気づいた。
これに書いたよ!いろいろ言ったよ!喧嘩売ったよ(笑)「国語教育研究に必要な語彙力―国語教育研究の世界に入るための関門として―」国語教育研究って大変だよ、と言いたかったよ!他分野の人こそ読んでね! https://t.co/IVGsAB5At0
— 難波博孝 (@hirotakanamba) 2018年10月1日
今月の『日本語学』は国語の特集なのです。
記事に書けるほどはまだ読めていないけど、語彙の話は難しいなぁと思いました(小学生並みの感想)。
難波先生の記事への感想の速報はTwitterに書いた通り。
『日本語学』の難波先生の記事が穏当に全方位爆撃していたのに笑った。しかし、大切なかんてんですよね、本当に。ディシプリンがなかなか明確にならない国語科教育ではあるが、その越境した重層性を持つ積み重ねはある。親学問の草刈場ではない。何を軸に教えるということ考えるかに緊張感がある。
— ロカルノ (@s_locarno) 2018年10月4日
ちなみに、来月号も国語教育特集なのでチェックしておきましょう。
『日本語学』はたまに国語教育特集をやりますが、忘れがちなのですよ……。ちなみに今の時期に便利なこんな特集もあったのでした。
手書きが思いのほかキツイ…
前々から愚痴っていますが、とにかく大学からの推薦書がストレスの原因である。
原稿自体は出来上がっているのだが、字数が多く、手書きで清書させらることでとてつもなく時間を奪われる。
くりかえす、手書きなのでとてつもなく時間を奪われる。一枚清書するのに一時間近く掛かるのである。全く生産性のない一時間である。キレてよいだろう。
パソコンにしてくれれば、この時間を半分以下に圧縮できる。許しがたい。調査書ではダメなのか。